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長過ぎるタイトルで送る、短過ぎる人生の美しさ。 『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』

公開が近付いてまいりました。

次回作が最も期待される監督として有名な…ウェス・アンダーソン監督最新作。『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』です。

私は第34回東京国際映画祭にて、一足先に鑑賞済み…ということで、(もちろん2回目も観に行きますが)公開前に本作の魅力を語ってしまおうと思います。

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誰もが目を引く、このポスター。

一度上映が始まれば、その画の美しさと可愛らしさに、きっと目が離せなくなるはず。

しかし、みんな大好きウェス・アンダーソンの魅力はそんな"お洒落映画"を撮るからだけではないと、私は思うわけです。


なんといっても、その普遍的なメッセージ。
時に甘く、時に毒突く…人生をまるっと詰め込んだような濃密な2時間こそ、多くのファンを獲得している所以ではないでしょうか。


同監督の作品では、賞レースでの受賞も含め、最も根強い人気を誇る作品が『グランド・ブタペスト・ホテル』で間違いないでしょう。
無論、私も繰り返し観た傑作ですが…本作『フレンチ・ディスパッチ(以下略)』は、開始数秒で私の心をわしゃっと掴み放しませんでした。
ウェス作品史上最も好きな一本となった『フレンチ・ディスパッチ(以下略)』の魅力をいざ...!


創作を愛する私たち

本作は「フレンチ・ディスパッチ」という雑誌をめぐる物語。いや、雑誌のページをめくる物語と表現した方が正しいかもしれません。

本作の構造を限りなく簡単にまとめるなら…同雑誌編集長の死を受け、最終号となる「フレンチ・ディスパッチ」の内容を辿る映画といったところでしょうか。

それはまさに、編集長の人生を辿るようであり、各ライターそれぞれの個性を垣間見る至福のひと時。
私の大好物である、"ストーリー性のない物語"が次々と巻き起こります。笑

ある特集記事から、次の特集記事へ、その繋がりはあまりに突拍子もなく、本当に同じ映画かと疑ってしまうほどです。

しかしながら、それらひとつひとつの"物語"は、間違いなく「フレンチ・ディスパッチ」という雑誌の中の出来事であり、そんな"物語"もまた、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』という映画の中の出来事であるわけです。

この入れ子構造こそ、まさに創作の賜物であり、私たちの人生そのものと言っても過言ではないでしょう。

子が生まれ、食事を作り、衣服を拵え、住処を定める。音を奏で、絵を描き、物語を創り出す…そこにはフィクションもノンフィクションも関係なく、我々は常に"何か"の創作に囚われて、いや、それを愛しているのかもしれません。

ストーリー性がない、なんだか分からない。けれど、何かを生み出していることを強く強く実感する映画であることは間違いありません。

「フレンチ・ディスパッチ」という名の人生の中で、それは時代を変えるような変革か、隣の人をクスッと笑わせるだけのコメディか、はたまた誰かの死を弔うものなのか、誰かの生きる糧となるものなのか…何にせよ、本作に登場する個性豊かなライターたちのように"創作"をすることで、その幕が上がることは確かです。ゆっくりとめくられていくページの豊かさを、ぜひ劇場で感じてみてください。


それがロマンってやつさ

にしても、本作のキャスト陣は豪華ですよねぇ。。。

さて、私もまだ1回しか観ていないので、忘れている場面も多くあるかと思いますが...上映後真っ先に感じたことは「人っていいな」でした。まんが日本昔ばなしじゃないですよ。

上述の通り、それは様々な"記事"の一幕を、オムニバス映画のように連ねて完成されます。
それぞれの"物語"は、どれもこれも真剣で、だからこそ滑稽で、そんな人々にあてる言葉といったら「愛おしい」としか出てきません。

先ほどは「創作を愛する私たち」として、本作それ自体を創作した制作陣、そして劇中で「フレンチ・ディスパッチ」を創作するライターたち、そして我々観客を念頭に置いたお話でした。

ですが、本作にはまだまだ.....「フレンチ・ディスパッチ」のライターたちが創作した"記事に登場するキャラクターたち"が存在します。文字にすると複雑ですね。笑

彼らこそ、最も「人間らしく」「生き生き」と、その人生を全うします。そう、ここに「愛おしさ」を感じるわけです。

"物語"は様々、時代も思想も何もかもバラバラな「フレンチ・ディスパッチ」のお話ですが...そのどれもが、何かに憧れては愛を知り、愛を知っては更なる憧れを抱く、この美しい連鎖だけは共通しているような気がします。

先の「創作」にも通じることではありますが、止め処ない人間の深き愛は、まさにロマンです。

本作がアメリカンでもブリティッシュでもなく、「フレンチ」という舞台にしていることも、きっとこの「ロマン」を感じてほしいからではないでしょうか。"物語"を彩るキャラクターたちは、決して古典主義にも合理主義にも当てはまりません。個の美しさを忌憚なく発揮し、愛し愛され、過去への憧憬、未来への冒険心を抱くその姿は、ロマン主義そのものです。

ロマンコメディであり、ロマンホラーであり、ロマンサスペンスであり、ロマンロマンス...な本作。

ああ、人っていいな。ああ、私の人生も悪くないな。
そう思うこと、それがロマンってやつさ。ってね。


"泣くな"

はらちゃん。

ではないですね、そんなドラマもありましたが。


本作における印象的なフレーズとして"No Crying"(=泣くな)という言葉が登場します。

この力強いフレーズ。
シンプルすぎるが故に、どこか心をきゅっとさせられるこのメッセージを、一体我々はどう受け止めたらいいのでしょう。


私はこれを、ひとつの時代の"象徴"と捉えてみました。

実は本作に登場する「フレンチ・ディスパッチ」、本雑誌および雑誌社は、そのピークを過ぎ、衰退の道を辿る様子が時折描かれます。そんな中での編集長の死は、まさにひとつの時代が終わることの表れと、誰しもが思うはずでしょう。


"泣くな"、"No Crying"

それは、たとえどんな辛いことがあっても、明るく前を向くために必要なこと。
泣いたって、誰も助けてはくれない。自分の身を自分で守るために必要なこと。

辛くも世の中を生き抜くために、必要な心構えであることを的確に表現したフレーズなのかもしれませんね。







・・・という解釈は、果たして本当に正しいのでしょうか。

世はまさに個人尊重の時代。
確かに、泣いている暇なんてなく、我々はひとつの個として、その人生を謳歌することに必死です。それは「フレンチ・ディスパッチ」が伝えたように、愛おしさすらも含む、輝かしい瞬間です。

ですが、人生はあまりにも短過ぎます。
例えるなら、それはたった2時間の映画に、たった1冊の雑誌にまとめられるほどのものでしかありません。

さらに、そんな呆気ない人生より、さらに短く、早く、過ぎるものが"時代"です。
近現代における"時代"の進むスピードは、我々の人生すらも待ってはくれません。

もしも人生のピークに"時代"の変革が訪れたら。
もしも「フレンチ・ディスパッチ」の刊行が急遽終わりを迎えるなら。
もしも"泣くな"なんて時代が、もう終わりかけているとしたら・・・。


本作の感想は間違いなく十人十色でしょう。

私は単純に画の美しさや、コメディシーンが面白かったというだけの感想も大好きです。笑
むしろ、考えずに感じた、それこそが本作を最大限に楽しんだ証拠かもしれません。


それをも踏まえた上で、私は不思議な哀愁を本作から感じました。
それは流れゆく時の、変わりゆく時代の、その瞬間を切り取っているからなのではないでしょうか。

長過ぎるタイトルで送る、短過ぎる人生の美しさは、そんな変化の連続によるものなのかもしれません。



最近、たったの22歳にしてやけに涙脆くなってきている自分がいます。笑
本作は決して泣くような映画ではありません。ですが、自分の両親や先に生きる者たちの過去、自分や愛する者たちの今、そして自分より若い世代の未来をふと照らし合わせたとき、何だか幸福な涙を流してしまいそうになります。笑


全編が温かいユーモアに包み込まれた本作ですが、"No Crying"という時代が終わるとき、そのラストシーンを迎え、皆さんはぼんやりと何を感じるでしょうか。
短すぎる人生の中で、本作を鑑賞する2時間は、きっと美しいものであるはずです。

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