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日本全都道府県に行ってきた(山形から大都会仙台へ)

これまでの流れはこのマガジンからどうぞ。

この日も乗る路線は一本だけで、仙山線。名前の通り、仙台と山形を結ぶ路線で、僕は山形から仙台へ行く。

というわけで、この日も午前中は山形観光。

おっとその前に、久々に走りに行こう。毎日結構な距離を歩き回ってるけど、朝ランは気持ちいいからね。

山形には、城跡があって、それほど遠くないので行ってみよう。

線路をくぐってしばらく行くと、お堀が見えてきた。

山形といえば最上氏ですな。

ちなみに、山形城は別名「霞城(かじょう)」とも言うんですね。なにやら品のある別称だ。

山形城は、その別名を霞城(かじょう)と呼ばれる。関ヶ原の戦いに関連して、米沢城主直江兼続率いる上杉軍が山形に侵攻し、長谷堂合戦が起こった。その際、現山形市街地の西にある富神山の麓の菅沢に陣を構えた上杉勢からは霞がかかってその位置を隠したことに由来する。

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だだっ広い人気のない城跡を走るのは清々しくていい気分なのだが、途中で雨が降ってきた。
まあ少しの雨なら大丈夫…と思っていたが、いつになっても止みそうもないし、いや少しずつ雨脚が強くなってきたので慌ててホテルに戻る。なので走った距離は5キロほどだった。

あのお城跡はちゃんと見てみたいなあ、と思ったので一度ホテルに帰って着替えた後に再訪。すると一角に、な、なんだこの変わった建物は!

済生館という、昔の病院だそうで、明治初期の擬洋風建築の傑作、国の重要文化財にもなっている。

西洋建築を余り知らない当時の日本人が、イマジネーション豊かに頑張って作っちゃった…という感じの、あちらこちらに和と洋が混じった、とても不思議なのだが品のある建物だ。

今では郷土館になっていて、無料で入れるとのことだったのでもちろん中に入る。

一階は中庭を囲んで円形になっていて、小部屋が放射状に配置されている。上層階には入れなかったが、当時なら街のどこからでも目立っただろうなあ。

建物を見るのが好きなので、こういう特徴のある歴史建造物を見て、中に入れたのはとても良かった。

そして鉄オタ的にポイントが高いのは、お堀端のすぐそばを鉄道が走っていることで、ちょうどタイミングよく電車がすれ違っていた。

それから、旧県庁も重厚で威厳のある建物だった。明治時代の威信をかけて作った建物、みたいな。

この建物のお隣には、レンガ造りの旧議事堂があって、今ではホールになっている。
たまたまオペラ…たぶんモーツァルトかな?のリハをやっていて、窓から覗けたのはラッキーだった。日本に来てからクラシック音楽とか聞いてないもんなあ…。

のぞき窓から勝手に鑑賞会…。

山形、古い建物が多く残されていて街歩き的にはとても楽しかった。

そろそろ移動しなくてはなので、仙山線の快速列車に乗った。

時間があれば松尾芭蕉で有名な「山寺」や、作並温泉にも行ってみたかったが、いちいち途中下車するのも面倒なのでスキップ。

仙台に近づくにつれ、沿線の家やビルが増えてきて、それにともなって乗る人も増えてきた。仙台駅に着く頃にはほぼ満員となり、さすが東北一の都会だわ。

仙台は、大昔に新幹線の車販バイト時代さんざん来ていたので、懐かしい。それから、伊坂幸太郎の本が好きなので、彼の小説の舞台にもよくなっている街という点でもなにやら親近感が湧く。

今となってはオージーだし、しばらく小さな街を旅していたので、もう目が回ってしまうよワタクシは…こんなデカいペデストリアンデッキなんてしばらくぶりだし!

と少し道に迷いながらたどり着いた今晩のホテルは、先月にできたばかりということでピカピカで、やはり新しいホテルはいい。

そしてまあ、仙台といったら牛タンですわな、何故かは知らないけど。
しかも、実際に出される牛タンはオージービーフが多いそう。確かにオーストラリアではタンってあまり食べないから、輸出にはもってこいなのかなあ。

仙台駅の中にある「牛タン横丁」で、場所のせいか行列ができていたけどまあいいや、ということで待ち、出てきたのがこれ!

タン塩、牛タンソーセージ、牛タンつくね…など、牛タンをこれでもかと平らげた。

ごちそうさまでした!

(つづく)

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