改装あいなったシドニーオペラハウスで、マーラーを聴いた
2022年7月21日。
私は、シドニーオペラハウスに向かっていた。周りにも、着飾った人がたくさんあの白く輝く建物に向かって歩いていた。
雨続きの陰鬱な日が続くシドニーの冬だが、この晩は幸いにして雨が上がり、びしょびしょに濡れそぼっていたタイル張りの歩道も乾きはじめていた。
私は、コンサートを聞きに行く。
といっても、普通のコンサートではない。2年半ぶりの、この場所でのコンサートだ。
オーストラリア生まれの指揮者、シモーン・ヤングが、手兵であるシドニー交響楽団を振り、メインプログラムはマーラーの「復活」である。
オペラハウスのコンサートホールは、2019年より大掛かりな改装工事が施されていた。
世界遺産にもなっているほどのシドニーオペラハウスだが、残念ながら肝心のホールの音響は世界水準からは程遠かった。
下の動画でコンサートマスターが言っていてなるほど、と思ったが、
「以前は、皆が叫んでいるようだった」とのこと。
音響もそうだが、観客としても問題のあったホールであった。
とにかく、階段が多い!
平地の上に建てられたホールなので、メインロビーに行くだけでもそれなりの階段があり、コンサートホールの2階席に行くにはさらなる階段を登らなくてはいけない。
お年寄りには地獄のような試練だったと思う。
このホールが建てられた時代はバリアフリーなんて観念はなかったので仕方ないとは言え、これじゃマズい、ということで、音響面、アクセス面で大々的なアップグレードを計ったわけだ。
そうか、コンサートホールにとっても「復活」だったんだなあ。
こちらとしても、久々のオペラハウスでのコンサート。うーん、気持ちが高ぶるぜ、なんて考えながら階段を登ってメインロビーに入ると、受付の人が「シャンパンはいかがですか?」と引換券を配っていた。
こんなことは今まで無かったので「???」と思ったが、もちろん頂いた。
なんと、G.H.Mummのシャンパンではないですか!特別グラス(プラスチックだけどね)に入れられていて、華やか。
ちなみにこのプログラムはなんと5日連続で演奏されたのだが、ドリンクが振る舞われたのはこの晩だけだったようだ。
(うーん、ラッキーだったなあ、と飲んべえの筆者が喜んだことは言うまでもない)
観客に対するアクセス面では、階段をぶち抜く廊下ができていたり、エレベーターが追加されていたりした。
場内には花も飾られていて、特別な雰囲気だった。
ウロウロしていると開演前のベルが鳴ったのでいざ、ホールに入る。
あれ?そんなに変わっていないわ、というのが第一印象だったが、ステージ上部の赤い花びらのような形をした板が目につく。
これが、今回の改装の目玉、反響板である。
それから、ステージ上のひな壇がかなり高くなっていて、多分このおかげで音が更に立体的になるのだろう。
観客席は、以前通りで、座席数も多分変わっていない感じだった。
いやあ、それにしてもマーラーの復活、大編成オーケストラに混声合唱も入り、壮観である。
オーケストラのチューニングが終わり、シモーン・ヤングが登場。
小柄ながらキビキビとした動作で、やはり統率力があるのかな、オケも彼女の動きに敏感に反応しているようだ。
そして、場内が静まった後、決然としたトレモロから曲が始まる。
おお!やはり音が良くなっているようだ。
各パートの分離が良くなり、細かいパートの音も埋もれずに客席まで届く。
そして、音質も良くなっているようだ。例えばヴァイオリンの高音も、キーキーするのではなく、艷やかに聞こえる。
別の言い方をすると、高級なステレオで、高品質で録音されたCDを聞いているような感じ…というか。
全合奏の時でも、迫力はあるのだが、うるさいな~、という感じにはならなかった。
それにしても、この曲は感動的だなあ…。
音楽を言葉で表すほどの筆力がないので細かなことは書かないが、第1楽章の苦悩、第2楽章、第3楽章の束の間の平安、第4楽章の魂の救済、そして破滅から高揚して希望に至る第5楽章…この音楽に目頭を熱くさせない人はいないのではなかろうか?
もちろん、最後の和音が鳴らされたあとは満場の拍手喝采、スタンディングオベーションで、紙テープも投げ入れられるという華やかな雰囲気だった。
生まれ変わったコンサートホールの実力、指揮者とオケの力を見せつけた圧巻の名演だったといえよう。
そういえば、改装に入る前に最後に演奏されたのが、同じくヤングさんによるマーラーの「嘆きの歌」だったのだ。あの演奏会にも行ったなあ。
それから更に記憶がさかのぼるが、実際にコンサートに行って聴いたマーラーの「復活」で印象的に残っているのは、1995年に大阪フィルが東京で演奏したものだ。
もちろん指揮者は、朝比奈隆。
察しのいい人なら気づくと思うが、1995年といえば阪神大震災が起きた年である。
もちろん、オーケストラのプログラムは2,3年も前から決まっているものだし、地震なんて予測不能なことが起きたのは偶然に決まっている。
それでも、あのとんでもない大惨事から半年ほどしか経っていないという時期に、大きな被害を受けた町のオーケストラが「復活」を演奏する、というのは象徴的だったし、それはどうしても関連して聴いてしまう。
僕も親しい人を震災で亡くしたので、このコンサートは本当に印象的で、多分最後は涙を流しながら聴いていたと思う。
コロナや戦災、政情不安…という混沌とした世界が「復活」できるのかはまだ誰も分からない、というか正直悲観的だ。
それでも、われわれは望みを捨てずに「復活」を希望し、求めていかねばならないのだろうな…という月並みな考えを抱きながらオペラハウスを後にした。