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オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:そろそろ本篇?

就労ビザももらえたし、仕事がどんどん楽しくなってきた頃だったなあ、と今振り返ると思う。もっと勉強しとけばよかったかなあ、とも思うけど…

オレはコンシェルジュになれるのか?

これでしばらくこのホテルで働けることになったので、自分の進路(っていうと学校みたいだなあ)について考え始めた。自分は何になりたいのだろう。ホテルで働くという目標は達成できたが、ホテルの中でもポジションは色々ある。

話はさかのぼるのだが、日本を離れる時に、ホテルの同僚からコンシェルジュのバイブルともいえる、ホリー・スティール著の「究極のサービス」という本をプレゼントされた。この本を何回も読み返し、そして実際こちらのホテルでポーターとして、コンシェルジュの下っ端の仕事をするにつれ、コンシェルジュワールドの魅力にひかれていった。

この長い話の最初に書いたけど、就活をするときに、あまりお金もうけにこだわる仕事よりは、誰かのためになる仕事をしたい、と思っていたわけだが、その点でも、コンシェルジュという仕事はいいじゃないの!と思うようになってきた。

コンシェルジュの仕事というのは、とても簡単に言うと、「ゲストのリクエストに応える何でも屋」っていう感じかなあ。ゲストに頼まれたことは、違法だったり倫理にかなっていない限りやってのける、という姿勢が求められる。自分のサービスで給料もらっているので、モノを売ってるわけではない。また、その街のガイド、指南役にもならなければならない。ゲストに見合った、ステキなレストラン、バー、観光名所…などなどを正確かつ丁寧に案内しなくてはいけない。

こうやって書くと恐れ多いけど、基本理念はベリーシンプル。

"In Service through Friendship"

これって、コンシェルジュの国際組織であるレ・クレドール(Les Clefs d'Or)のモットーなのだけど、つまり自分の友達が自分の家、街、国を訪れた時のようにゲストをもてなしなさい、ということである。

実は、この頃にカナダにあるコンシェルジュ専攻の学校(まだあるのかな?)を受験し、一応合格した。ちょうど2000年のシドニーオリンピックと時期が重なるし、金銭的な問題もあったので結局行かなかったが、この頃からコンシェルジュ、はたまたレ・クレドールの会員になりたい!という目標があったのだ。


シドニーオリンピック

そのころシドニーのホテル業界、いや街全体は、2000年のオリンピックに向けて沸いていた。
いざオリンピックが始まると、ウチのホテルも大きなスポンサーがほぼ全室を買い上げ、毎日早朝勤務、長時間シフト、気が狂いそうになるほどの荷物の上げ下げ...という何もかもが桁違いという日々だったが、その経験はめちゃくちゃ楽しかった。シドニー全体が一丸となってイベントを成功させるぞ!という気持ちにあふれていたので、こちらもアドレナリンが出まくりで全然苦にならなかった。
その時はコンシェルジュチームのナンバー2だったのだが、チーフコンシェルジュのキャラクターが素晴らしく、皆でやってやろうじゃないの!という気持ちがみなぎっていたので、この一大イベントに立ち向かえたのだろう。

そのオリンピックが終わると、そのボスも次のステップということで別の業界に行き、ナンバーワンのポジションが空いてしまった。その時のフロントオフィスマネジャーと簡単な面接をして、「まあ、あなたが最適でしょ」とわりあいさらっと、2001年4月1日に正式な「コンシェルジュ」という肩書をもらった。

コンシェルジュの仕事は本当に気に入ってきて、なんてすばらしい職業だ、できればこの道で一生やっていきたい!と思うようになった。ならば、この職業を極めたい人には必須の、レ・クレドールに入るしかないだろう。

昔はそんなことは恐れ多い…と思っていたが、あれ、不可能ではないのかも…と思うようになってきたのが、2003年くらいだったかなあ。

なってやろうじゃないの…

さて、オーストラリアでレ・クレドールのメンバーになるにはいくつかの要件がある。4/5スターホテルで5年勤続していて、コンシェルジュという肩書を持っていなくてはいけない、というのがまず必須。

それから、自分の町(自分の場合はシドニーだが)のことをうらおもて知っていなければならない。おすすめのレストラン、観光名所、オペラハウスで今何をやっているか...といった観光ガイド的なことから、郵便規定(何をどうやって送るのがベストか、など)、航空券の読み方(例えばこのチケットは予約変更可能か?)、ちょっとした法律(例えば屋外で飲酒をしてもいいのか)などなどの事細かなことも知っていなくてはならない。いつお客さんにどんな質問を受けるか分からないですから。

また、コンシェルジュは自分の働いているホテルを代表しているわけだから、そういった外部的な知識に加えて、ホテルの社員としてきちんとした仕事ができているか、というのも重要。マニュアルや、サービススタンダードの整理、他のチームメンバーをどのようにして育てていくか...といった点も考慮されるので、その辺りもきちんとやっておく必要があった。

こういったことは、自分で勉強もできるけど、人に聞くのもとてもいい手段。なので色々なコンシェルジュのイベントや会食に積極的に出席したり、現メンバーと話をして情報を集めた。

そういった会合を通じて、メンバーシップにチャレンジする他のコンシェルジュとも仲が良くなり、よく仕事の後や休みの日に会って勉強をした…といっても、レストランやバーに行って飲み食いしながらだったけれども(これも勉強のうち!)。

でコンシェルジュのいいところは、横のつながりが素晴らしく、違うホテルブランドだからって情報を出し惜しんだりするようなことは、原則ない。
ゲストのためなら、ホテルブランドの垣根なんて取っ払って知恵を絞ろうじゃないの!ってことですね。

そうやって準備を進めて行ったのだが、応募するに当たっては現メンバーの二人にスポンサーになってもらい、彼らのお墨付きをもらわなければならない。
このスポンサーを探すのがちと大変だった。これまで現役のメンバーの下で働いたこともないし、勤務しているホテルは大手チェーンではないのでそこからのツテもない。そしていい加減なスポンサーを選んでしまったら、あまり真面目に指導をしてくれないので最終面接の準備が十分できない、という理由で、これは、結構大事な点だった。誰が自分にとって最適か、ということを考え、最終的に絞った二人にお願いした。彼らにはキツいことも言われたが、率直にどの部分をもっと勉強しないといけないのか、ということを教えてもらったのでとても助かった。

あせって準備不足で応募するのは止めよう、と思っていたので、ゆっくりと準備を進め、2006年に正式に応募した。
最終面接は、3名のインタビューコミッティと、今まで準備したことについて、結構長い時間…2時間くらいだっただろうか、質問されまくった。
この面接は、死ぬほど緊張する、という人もいるらしいが、自分はやるだけのことはやったんだし、落ちても今の仕事が無くなるわけでもなし…と、比較的落ち着いていたと思う。

面接の後も、自分のできる範囲でやり切ったとは思ったし、あまりヘマは踏まなかったと思ったのでそれなりに手ごたえはあったのだが、その何日か後に当時のプレジデントから、「ようこそレ・クレドールへ!」という電話をもらった時は本当に、夢がかなった嬉しさがあった。

メンバーになると、この、襟にかがやく「金の鍵」を初めて着けるプレゼンテーションセレモニーをやるのだが、これはその時の写真。晴れがましいなあ~。ホテルの総支配人と、レ・クレドールオーストラリアのプレジデントと一緒に。2006年6月6日(語呂がいいなあ)のことだった。

そうか、あれからもう14年も経っているのだ。メンバーになったからこれで上がり!という訳ではなく、ここがスタートライン。このことを頭に叩き込んで仕事をしなくては、と改めて思った。

という訳で、実際にレ・クレドールのコンシェルジュにになったので、表題に即していえばこのストーリーは終わってしまう。でもこの時に別のチャレンジも並行して起きていたので、このストーリー、まだ続きます。