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祖父の冗談が笑えなくなった

3年ぶりに会った祖父はすでにかつのてような畏敬の念を抱く対象ではなく、哀れでどこにでもいる老人に成り果ててしまっていた。

祖父の人格は幼少期を満州で過ごした経験などからもわかるが、まさに戦時から戦後の混乱した世の中で形成された。そのせいか、家族内での祖父は強権的で私にとっては畏怖の対象でもあると同時に尊敬の対象でもあった。

祖父は私に会うたびに自身の人生で培ってきた経験や考え方を披露してくれた。
このような時間は私に鬱陶しさよりも祖父に対する崇拝にも似た感情を感じさせた。自分の親族だからという贔屓目があることは否定できないが、それでも私の祖父の人生談はなかなかに馬鹿にできないものだと今でも思っている。

ロシアのウクライナ侵攻の影響で、戦争は過去の出来事ではなく現代でも起こりうるという認識が広まっているように思える。

第二次世界大戦終戦から70年以上が経ち、徐々に祖父のような戦争を体験した世代が失われつつある。

戦争について考えなくていいというのは平和が実現されているからと考えることもできるが、
私には現代が戦争を考えなくていいほど平和ということでなく、むしろ戦争という話題を避けタブー視した結果、意識が希薄化してしまっただけのように感じる。

Youtubeでウクライナ関係の動画のチャット欄を見るととても戦争に向き合ってるとは思えないほど、残念なコメントが多い

今世界では、再び戦争とは何か平和とは何かを考えなければいけない時期が到来している。遠い国の出来事でなく、自分たちに起こりうるという認識を持つ必要があると思う。

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