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文理の壁を超える重要性

 今後は「技術の習得」だけでは通用しない世の中が訪れるように感じます。以下の引用は,朝日新聞にあった開成高校の校長の言葉です。

 東大の教養学部で理1の同じ語学クラスだった同級生の中には、工学部卒業後、さまざまな経歴を経て会社のトップになった人が少なからずいます。製鉄会社に入ってから米国の大学院でMBA(経営学修士)を取り、外資系コンサルティング会社を経てGEグループ会社の社長、そして外資系製薬会社の社長になったり、総合商社に入って外資系コンサルティング会社などを経てベネッセの社長になったりした人がいます。技術を知っていて、マネジメント能力を身に付けた人が社会で活躍しています。開成の卒業生も、この20年間で起業している人が増えています。
 大学の工学部の先生と話すと、工学倫理も大事という話になります。例えば会社が進めようとしていることでいろんな危険性がある時には、それを予知してサイエンティストとして発言しなければいけません。この時に、倫理や政治、経済などの勉強が足りないと、立ち向かっていけず、従順なエンジニアになってしまいます。自分の意見を持つエンジニアであってほしいです。

 近年の日本の教育では,「実学重視」の傾向にあります。「国立大学文学部廃止」が話題になったのもつい最近のことです。文部科学省の政策を見ていると,

学問をやるよりも実用的なことを

という意図を感じざるを得ないこともあります。「技術を身につける」ことも大切ですが,本当に技術を使いこなせし,技術を発展させることができる人とは,幅広くさまざまなことを学んできた人でしょう。

 以前,「トロッコ問題」の記事を書きましたが,そのときに「AIの判断基準にもトロッコ問題」が使われるというコメントをいただきました。「トロッコ問題」は倫理学における最新テーマです。文理の壁を超えて学ぶことが今後の世の中で求められるといえる一例でしょう。

 2018年の東京大学の和文英訳では以下の和文が出題されました。

 「現在の行動にばかりかまけていては生きるという意味が逃げてしまう」と小林秀雄は語った。それは恐らく,自分が日常生活においてすべきだと思い込んでいることをやってそれでよしとしているようでは,人生などいつのまにか終わってしまうという意味であろう。

 「目の前のことばかりやっていては,今は良くてもその先にはつながらない」という痛切なメッセージに感じられます。

 目先のことを考えれば,技術の習得が大切かもしれませんが,その土台として,文理の枠を超えたさまざまな思考力がある人とない人では技術の習得後に大きな差が生まれる気がします。


* 「トロッコ問題」はこちらから☟


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