見出し画像

2つの努力

 東洋経済onlineからです。「東大生も驚愕!『東京藝大生』の努力がすごすぎた」という記事です。

* 全文はこちらから☟

 「東京藝大生に求められる努力のあり方」がテーマとなっています。大きなポイントは

① 「守破離」の大切さ
② 「結果の見えている努力」と「結果の見えていない努力」

の2点です。このことについて,記事を引用しながら,自分なりの解釈を加えてみます(網掛け部分が記事の引用です)。

 1つ目の「守破離」とは,以下のように記事でまとめられています。

「まずは、物事の型を知り,昔から言われている技術を「守る」。次に,その型をどんどん自己流にアレンジして,技術を「破る」。そして最後に,その技術を捨てて,1から型を作る。技術から「離れる」。

 勉強でもスポーツでも共通する点です。ここで重要な点は,第2段階です。「自己流にアレンジする」ことです。何ごとにおいても自分なりにプラスαの工夫ができる人が大きな成長を遂げます。「言われたことをただやる」のではなく,「自分で考え,自分流に落とし込む」ことが重要です。
 第3段階の「離れる」とは,「無意識に使える」ということでしょう。技術は考えながらやっているうちは真の意味で使えているわけではありません。理論を忘れて初めて自分のものになります。
 そして,また「守」に戻るのです。この繰り返しが成長へとつながります。これを繰り返す努力が何ごとにも必要です。そこで,2つの努力が記事では述べられています。

 1つ目は、「これくらい頑張ったら、この結果が得られるだろう」というものです。
(中略)
 東大生の多くは、この努力をしています。
 「今、受験勉強をしておけば、大学入試で合格できるかもしれないし、大学に入った後も活用できるはずだ」と考えるからこそ、何時間も勉強することができるのです。
 しかし、そうではない努力があります。それは、「頑張ったところで、何が待っているのかわからない努力」です。
 「今ここで頑張っていることが、報われないかもしれない」
 そういう不安がある状態で、それでも努力し続けられる人はまれです。そして、藝大生はこの2種類目の努力を実践している人たちの集団なのだと感じました。
 予備校で習った「技術」が、長期的に見たら自分の絵を描く能力を阻害するかもしれない。または覚えても、使えなくなるかもしれない。
 それを知っているにもかかわらず、それでもその努力に自分の時間を何時間も投資することができるというのは、本当にすごいことだと思います。

 2つめの努力の方は,東大生は弱いとも述べられているのですが,実際にそうでしょうか。
 たしかに,受験は頑張った分が成果に現れるという側面があります。しかし,「頑張ったところで何が待っているかわからない」という側面も持ち合わせています。「頑張っても努力が実らない」ことももちろんあります。
 だからこそ受験生は不安になり,様々なことを乗り越えていきます。時に悩み,時に喜びを覚えます。その中で,今まで見えていなかった自分が垣間見えることもあります。そのような中で,自分の弱みを認め,他人にあらわにすることが「強さ」であることを学ぶ時期です。

 だからこそ,多くの東大受験生も,東京藝大生のような2つめの努力をする力を受験を通じて経験しているのではないかと感じます。
 本記事でも述べられているように,「不確実な時代」においてこの2つの努力は求められると思います。日々激変する世の中では,学校で習ったことはすぐに陳腐化していきます。だからこそ,先が見えない中で努力する力,一見異なって見えるものに対して,習ったことをいかせる力が求められる時代が現代という時代です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?