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noteと向き合うこと=思考すること

 シータ先生のnoteの記事がとても共感できる記事だったので紹介します。

 共感したのは以下の部分です。

 noteは、自分自身と深く対話をする場所です。毎日、自分の頭にあることを文章にしてみてください。恥ずかしかったら、人に見せなくてもいいのです。その時は「下書き」のままでも良いじゃないですか。 
 書いていると不思議なもので、いつのまにか自分の考えが見えてきます。自分の本当にやりたいことが見えてきます。
 それまで、もやもやとしていた霧がひとつに集まって、かたちある雲になる瞬間があります。その時が来るまで「ああでもない、こうでもない」と言いながら、ただ机に向かって考え続ければ良いのです。

 以前,「書くという行為」というタイトルで投稿したことがあります。「書く」という行為は「創造の過程であり,発見という行為である」という内容です。書きたい内容があるから書くわけではなく,書くという行為によって,自分が考えていることが明らかになっていくということです。

 シータ先生がnoteで述べていることと重なる部分があります。noteが下書きのままで終わっても,書くことと向き合うと,自分の考えていることが見えてきます。私もそこにnoteの一つに意義が感じられます。

 学生の中には,極力「書く」ことを避けたいと考える人もいるようです。「書くこと」に苦手意識をもつ学生もいます(もしかしたら大人でもそうかもしれません)。しかし「書くこと」を避けることは,「思考すること」を避けることと同義かもしれません。手段は何でもいいので,「書くこと」と向き合う時間を作ることが大切だと感じます。その意味で,大学受験で自由英作文や小論文を課すことはいいことだといえるでしょう。「十分に思考する」機会が与えられて得をしたと考えるべきです。

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