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『SANABI』で思った人工的な人格のこと

 『SANABI』(サンナビ)というゲームをやったのだが、これがなかなか面白かった。日本でのローカライズが微妙なのか日本語訳がメチャクチャだったり、チェックポイント・に結構ダルさがあったり、設定に曖昧さが載っていたりしたけど、チェーンフックを使ってスタイリッシュにサイバーパンクな町並みを駆け抜ける爽快さが全てを置いてけ堀してくれた。全体を通して面白かった。オヌヌメです。
 して、やっぱり気になるのはSANABIの中でもメインの主題となっている人工知能の人格についてである。作中の中では、人工知能に人格を付与する研究は禁忌とされており、それが原因で物語が動き始めるのだが、実は今僕たちが生きている世界にも人工知能に人格は付与されている。しかも、あまりにも身近で気づかないぐらいにの存在になっている。もちろん、確認する方法はある。もしあなたがiPhoneユーザーならiPhoneに向かって「Hey, Siri.今日の調子はどう?」と話しかけるといい。きっときっと誰にし対しても当たり障りのない人格が優しく接してくれるはずだ。
 Siriはデザインされた人格とは言っても、SANABIで取り上げられているような個人・プライベートの人格ではなく、公つまりパブリックに要求されている人格だ。個人の人格と公の人格、比べてもどうしようもないと思うが、少し引っかかることがある。
 SANABIで作り上げられた人格は、登場人物の一人を基にして形成されている。どう考え、どう行動し、どう思い、どう記憶していたのか。感情や行動原理、記憶といった全てをデータ化し人工知能に人格として付与させる。
 これは一見、そういうこともあるんでないかと納得思想になるが、もしこれが企業なりの手にわたり、個人の記憶を改ざんし、人格を企業の都合がいいようにデザインできるとするならば、社会にどういった影響を与え、どういった未来を迎えるのか。いい方向に向かうか悪い方向に向かうかを想像するのかは難くはないだろう。
 つまり、SANABIの人工知能の人格は個人を基に作り上げることに対して警鐘を鳴らしている。して、一方でSiriはどうだろうか。
 SiriはiPhoneをはじめとしたアップル製品に搭載されている人工知能のことを指す。Phoneに話しかければ当たり障りのない返事と当たり障りのないあんを提示して、当たり障りのない結果をもたらしてくれるだろう。今日も当たり障りのないパートナーとして日々を彩ってくれること請け合いだ。
 SiriはiPhoneという不特定が所有するデバイスに搭載されている人工知能だからこそ、余計な人格を目立たせることはしない。それ故に、不特定という公共にすんなり浸透して世間をざわめかせることもない。公共を基にしてデザインされた人格、それこそがSiriなのだ。
 僕が面白いなと思うことは、公共というものは個人と個人が繋がってできる総体のようなものであり、誰から教わることなくいつの間にか身についているものである。この公共を和を乱す人物は悪辣非道と見なされ排除されるところも面白いなと思う。
 Siriは絶対に公共を乱すことはない。もしSiriが公共を乱すものだったとしたら、人はiPhoneやアップル製品を買わないだろうし、こんなにもiPhoneが巷を跋扈することもなかっただろう。これからもSiriは公共を乱すことはないだろう。アップルという企業がそうデザインする限りは。
 気になることはここにある。個人を基にした人格を企業がデザインすることは批判の対象となりえるが、個人の集合体であるところの公共を基にした人格を企業がデザインすることに対して批判が起きないのだろうか。公共は集合体と言えども分解していけば個人の観念を基にしている。もしかしたら、僕私の観念を基にしているとは考えないだろうし、この観念は共通のものだから誰が手を加えても良いと考え批判する気が起きないだけであろうか。個は大事にされるが、公共に関しては杜撰になる。不思議だなと思う。
 そんなことを考えながら、『SANABI』を最後まで楽しくプレイしていました。ストーリーは韓国らしく感動モノだったし、年末年始で出来るボリューム感でチェーンフックでシュピンシュピンしましょう。

kawaii
イーロン
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