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『コミティア魂』がかなり良かった

 コミティアという「自主制作漫画誌展示即売会」という文字にすると堅苦しいこの上ないイベントに行ったことがある。堅苦しい旗揚げを飲み込みやすく噛み砕くと「オリジナル作品だけの同人誌即売会」と言った具合になる。つまり、自分の欲望を紙という媒体を通して世間に知らしめる発表会と言った具合のイベントだ。
 これが猛烈に良かった。猛烈に良かったというのには理由が存在する。当たり前だ。理由なく良かった良かったというのは思考を軽んじているような状態であり云々。冗長な意見は横に置くとして、このコミティアというイベントを後に瞬間、不思議な感覚に包まれることになるだろう。「僕・私もなにか創作をやってみたいなぁ」という感覚に。
 この感覚はコミティア特有のものだと思う。例えば、音楽ライブに行ったとする。ZAZEN BOYSでもRolling Stonesでもなんでもよろしい。そのライブにおけるパフォーマンスにえらい衝撃を受けて「僕・私もああいう風になりたい」と思ったが最後、ギターやベース、ドラムなどをかき鳴らし、彼らのように音楽に塗れたいと思うことになるだろう。これは、「彼らのようになりたい」を根源とした同化願望からくるものであり、具体的な対象、つまり同化したいという目標が存在する。
 一方、コミティアではどうだろうか。あの会場に満ちている「自分が気になるものを形にしただけですよ?」といったスカした人もいれば、「どうしても好きなものを発表したい!」と熱量を持った人物もいる。そういった様々な人物がブースという一つの島で陣取り、自分を許容するかもしれない読み手である入場者を今か今かと待ち続ける。その姿勢がなんというのだろうか、えらくいじらしい関係性であるなと思うのだ。
 この書き手側と読み手側の関係性は、右に述べたバンドの同化願望とはまた違ったものになる。それはなぜか。音楽ライブを見て何かしらを始めようと思った人間はどうか願望を基にしており明確で具体的な目標が存在する。しかし、コミティアでは、「なにか創作をしてみたいな」という抽象的な願望だけが存在しており、それは漫画なのか文芸なのかイラストなのか手段が漫然としないながらも、「なんかやってみたい」という願望を持つことができるのだ。
 そういった熱量がコミティアにはあった。東京ビッグサイトを出た際、一緒に来た友人に「なんか作りたくない?」と言ったのは良いでだ。その後、何かをするわけではなかったが、なんとなくその感覚だけは覚えている。
 その感覚を久しぶりに思い出させてくれたのがこの『コミティア魂』だ。内容はコミティアの沿革をなぞりながら当事者のインタビューを行っていくという形式だが、それでいても始めて行ったコミティアの感覚を呼び起こしてくれるいい本だった。

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