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【手取り15万円】について思うこと

物事には基準があると思っています。そして会話においてもそれは重要だと考えます。

なんてことを言われてもピンとこないでしょう。次の質問に答えてほしいです。

目の前に100万円があります。多いですか? 少ないですか?


答えは出たでしょうか?


答えられた人はなぜ答えられたのでしょう? おそらく、自分の金銭感覚や貯金、収入などを基準にしているのではないでしょうか。

答えられなかった人は基準がわからなかったからでしょうか。

では100万円について、小学生の1ヶ月分のお小遣いとしたらどうでしょうか。

おそらく多いと答える人がほんとんどでしょうか。平均的なお小遣いの相場から考えるとそうなるでしょう。


では100万円が日本の国家予算1年分だとしたらどうでしょうか。少ないと答える人がほとんどでしょうか。毎年の国家予算から見ればそうなるでしょう。

さて、もうひとつ質問です。
今2つの結論が出ましたがどちらが正しいのでしょう?

私はどちらも正しいと思います。


基準によって結論は変わるものです。1つの事象に対して基準の数だけ結論が変わる可能性があります。

先日、ツイッターでは手取り15万円の話題で盛り上がっていました。ある人は「転職すればいいじゃん」と。そしてある人はそれに対して「転職すればいいとか言っちゃう人いるけど、その人がいるおかげで社会が回っているんだし待遇を改善すべきでしょ」と。

どちらが正しいのでしょう?


私はどちらも正しいのだと思います。基準が違うだけのように見えます。

転職派は個人的かつ短期的に見た場合の話ではないでしょうか。一方、待遇改善派は社会的かつ長期的に見た場合の話ではないでしょうか。

こういったことはあらゆる場面で見られるように思います。


会社でも、一人は個人的かつ短期的な話をしていて、一方は会社目線かつ長期的な話をしているなど。

基準は様々です。1つの事象に対して脳科学で見るのか、生物学で考えるのか、精神世界なのか、物理的に見るのか、集計データの傾向で見るのか、挙げればキリがないように思います。

基準の数だけ結論は変わる可能性があります。あらゆる視点から物事を見るのはいいことですが、別の基準で考えた結論でもう一方の結論を否定してしまうのはどうなのかと思います。


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