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ショートショート3 「牡蠣とビール」

梅雨。
朝の電車内は、とても暑かった、あの夏の、気分が晴れるような暑さではない。
篭った空気、何味だろう、あのただ美味しくないと思うような集合体が呼吸を邪魔する感じ。
弱冷房車というものはとくにそう思う。
不味い、不快、イライラ、焦り、諦観、ここにはそんな感情が特に多く存在している気がする、そして人はそれらの感情を、車内に捨て清々しい気分で地上へと上がろうとするので、地下には行き場のないそれらがふわふわと、何気なく浮かんでいるように見える。

「今日も暑いわー。ジメジメ、この曇り空がダメだわ。てかさ、お前、昨日なんかあった?」

「えっ? 別になんにもないけど。昨日はあの後、普通に帰ったし。」

「そう、なんか昨日に比べると元気ないように見えたからさ」

「いやいや、元気よ。俺そんなに気分の抑揚無いほうだしさ」

「確かにな。悪りぃな、変なこと聞いて。それよかさ、早くここから上まで抜けちゃおうぜ。なんかさ、この時期の駅って、ずっっと低温サウナに入れられてるみたいで嫌なんだよ。暑すぎではない、我慢できるけど、なんか嫌な気分になってくるみたいなさ。」

「そうか?まぁ確かにちょっと暑いよな。おけ、さっさと出ますか」



改札を出て左に10mほど歩き、そこから一段が割と高い階段を50段ほど駆け上がると、地上に出れる。

「なんだよー。雨降ってんじゃんよー。」
土砂降りといえないが、傘なしでは歩けないような、そんな雨が降っていた。
たぶん、ゲリラ的なものであって、すぐ止むはずだ。辺りを見まわすと、うつろな目で携帯に視線を落とし、止むのを待っていそうな人が何人もいた。

「雨かよ……」
小声で、そう呟く。

「え?なに?なんか言った、今?」

「いや。とりあえず、大学までさっさと向かうか。」
小声でまた小さくそう呟くと、相方にはなんの合図もなしに、折り畳み傘を開き、そして雨と人ごみに溶け込むように早足で歩を進めた。

「おいおい、待てって。」
僕は後ろなんて気にすることもなく、静かにスゥーと進んでいくセグウェイみたいに、ただただ無言で、前だけを見て歩いていた。
周りの緯線が煩わしい。いや、気にしすぎか。誰も僕のことについて話しているわけなんてない。
雨音と、周りの喧騒が一体となって、知らない言葉が騒音となって、四方八方から飛びかかってくるみたいに。ゼンマイ仕掛けのブリキの人形、巻かれた分だけ一歩二歩とただ前だけを見据え、そしてそこに感情は無く、後先考えずただ歩みを止めずにいるだけ。違う、僕はそんなのでは無い。

急に肩を、パンっと、叩かれ、そして間抜けな表情で、後ろを振り返ってしまった。
「おい、待てって!お前、早いよ!こんな人もいて、傘だってさしてるのに」

「悪りぃ、つい考え事しててさ。」

「どうしたんだよ、お前、本当は昨日なんかあっただろ。言ってもいいぞ、気が楽になるんだったら。」
ニヤケながら、そう言うコイツは、きっと僕のことを心配してくれているのだろう。
仲良いやつと、面と向かってそういった真剣な、「実はさぁ、俺」みたいな居酒屋のテーブルで向かい合ってビールを傍に辛気な表情で話すみたいなこと、それはダサい。男だからか、それは仲がいいからこそ、恥ずかしくて、そしてダサイ。
でも僕は本当に何か特別に気が落ち込んでいるわけでも無いし、昨日は本当になにも起こっていない。なぜこうも大丈夫かと言われるのが不思議でならない。

「いや、マジでなんも無いから!本当に!それよか、お前の方こそ大丈夫かよ、今日プレゼンあんだろ。」

「ハハ、余裕よゆう。昨日徹夜と、友達の女の子から教えてもらってるからさ」

そんなことを話している頃には、目の前に大学の校門が見えた。周りを見れば、先ほどの喧騒はもうなく、携帯に目を落としながらつまんなそうに歩く若者しかいなかった。
「とりあえず、授業終わったらlineして。夕方空いてるんよね?」

「もち!たぶん5時過ぎには終わってるわ」

「おけー、じゃ、また後でー。」



夕方ごろには、雨はもう止み、本日お初にかかるそろそろ仕事終わりであろう太陽が姿を現していた。
辺りに人はいない。嫌な感じの集合体もいなければ、心をざわつかせる耳障りな騒音もない。

「おっつー。お待たせー。いやー、今日のプレゼン完璧だったわー。夏奈ちゃんにお礼言わなきゃなぁ。今度飯でも誘おー。」
午前にも見たあのニヤケ顔をしながら、のそのそと歩いてきたそいつは、嬉しそうな顔で僕の横にきた。

「まじか、よかったね。それではこれからぱーっと飯でも行きますか。ビールでも奢るよ」

「まじかよ、どうした、なんかいいことあった?」

「いや別になにもないけど。プレゼン、結構前から話してたじゃん。まぁそのお祝いだよ」

「そっか、じゃありがたく奢られようかな。あざっす!」

「駅前のさぁ、前に新しくできたオイスターバーでも行く?」

「まじ、あそこ外観からして結構高そうじゃね?ビールも何種類もあって、お高めっぽいけど」

「まぁまぁ今夜はさ、ぱーっと行こうぜ」

「なんだよ、お前。どうした、なんかいいことあったのか。朝はあんなにしょげてたのにさ、ハハ」

「だから、昨日も今日もなんもねぇって!お祝いだって、そんなに言うなら奢りなしな」

「うそうそ、いまのなし!行こう!すぐ行こう!祝うぞー」



店内は外観から想像していたような、洒落た雰囲気の店だった。10人程が横に並んでバーテンとおしゃべりできるようなテーブルに、椅子と四人掛けのテーブルの山がいくつか散らばっている。照明は薄暗くしており、jazzyな曲と合って、さらに小洒落感を演出している。

「乾杯―」
中ジョッキのグラスと、ドイツ産クラフト黒ビールのグラスが、カツン、とぶつかり湿った音を出した。

「いやー、うまい!夏の夕方にビールと牡蠣、最高だな!」

「まだ夏ではないけどな。まぁこれはいいよね」

「そういえばさ、さっき夏奈ちゃんがお前のこと心配してたぞ。なんか、昨日の昼間は楽しそうにしてたのに夜になったらいつのまのか帰ってて、私なんかしちゃったかな、って。」

「いや別に何にもないよ。飲んでる時は楽しかったよ、ただ夜は雨が降ってたからさ、先に帰らしてもらっただけだよ」

「ひとこと言ってから帰れよ、アホ。明日でも夏奈ちゃんに何か言っとけよ。彼女、割と繊細で可愛らしい少女なんだぞ」

「それは知らなかったけど、明日なんか言っとくよ」

「それにしても、昨日の夜はあんなにテンション低かったのに、今日の夜は高くて、お前の気分は天気に左右されてるみたいだよな」
ハハ、と笑いながら何気なく言われたその言葉は、僕の奥底の感情に刺さり、そしてじわじわと痛みが広がっている感じがした。

確かに。考えたこともなかった。天気に僕の感情が左右されている?そんなことありえないだろ。
湿気で髪の毛が纏まらない、そんな女子の悩み的なものみたいに、僕の感情は「今日は晴れていて、気分も上向きだ!」「雨だから。今日はなんて憂鬱なんだ!」そんなエモーショナルな人間なのか、僕が?

言われてみれば、過去へと遡り考えてみると、そんな気もしてこなくもない。
自問自答すればするほど、天気野郎、気分は今日の天気次第!そんな風に思えてくる。
なんて面倒臭い男だ。
僕は感情の起伏が少ない、低血圧な人間だと思って生きてきた。
口を大きく開け、目を見開いて大きなリアクションなんてしたことはないし、かといって笑わないわけではない。
見る人がみればクールに、穏やかにそこにいるようなタイプのやつだったと思う。
それが全部天気のせいだった?あの澄ました笑いや、クールな物言いは全て、たまたまその日の天気が良かったからなのか。
考えればそうするだけ、なんだか自分がわからなくなってくる。

「おい、どうした。大丈夫か、またテンション下がってきてるぞ、飲め飲め、ハハ、今日はお前の奢りだぞ!」

「あぁ、そういえばさ、明日の天気ってどうなんだろう?晴れかな?」

「ん?明日の天気。確か、今朝の天気予報では一日中晴れだったと思うけど。なんで?」

「いや、別に。よし飲むぞ、飲め飲め!オイスターもう一皿頼もうぜ!」

「急にどうしたよ。そうだなもう一個いっちゃってもいいですか、あざっす!」

晴れだと聞いて、なんだかホッとした。明日はまた、こいつと、こうやってふざけあえるのだろう。
あー、晴れの日がやっぱり一番良いなぁ。そう心の中で呟いて、特大の牡蠣をうまいビールと一緒に流しこんだ。

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