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杜氏の卒業論文が酒造りに影響するという妄想。

大卒の人間と知り合うと、どうしても聞きたくなることがある。卒業論文のテーマだ。大学名や学歴にはそれほど興味はないのだが、どのような研究を行っていたのか、無性に気になる。そのテーマから、その人物の意外な価値観や性格を見つけることができる。大学時代の卒業論文が自身の人生観やバックボーンに少なからず影響を与えているのではないか、と思う時がある。

例えば、小田和正。東北大学で建築工学を専攻している。彼の卒論テーマは「建築への決別」。この論文を教授の前で発表し、事実上の決別を遂行した後に、その足で新宿のライブハウス「ルイード」に向かったという骨太な逸話がある。彼の前身オフコースの楽曲には別れの曲が多い。そして彼の音楽からは、構造力学のような几帳面さを感じる。この相関性を日本酒杜氏に適用できないか、考えてみた。

ちなみに、この論文。
誰のものか、わかるだろうか。
「ボブ・ディランとウイリアム・S・バロウズ」
ググらない限り、おそらく誰も正解にたどり着かないだろう。実はこれ、新政酒造の杜氏、佐藤祐輔氏の卒論テーマである。蔵元の息子の大勢は、東京農業大学の醸造学科に進み、卒業後蔵に戻り、後を継ぐのが常道だが、佐藤氏は、日本酒とは全く関係のない、東京大学文学部に進み、この論文を書いた。

僕個人の新政評はロマンティックで、かつ退廃的なお酒だということ。従来の日本酒は、スペックに代表される「理系感」を濃厚に感じるのだけど、新政は、その要素が皆無に等しい。むしろ「文学」や「哲学」といった人文学的テイストを感じる。日本酒は神様からのお裾分けという感覚が、妙に腑に落ちる。

ディランは僕も大好きな音楽家であり、「フォークの神様」という愛称があるが、彼のベースはむしろロック、ブルースであり、既存の価値観の破壊者というのが実像だと思っている。佐藤氏が醸す新政は、生酛・樽熟成とトラディショナルな側面が強調されがちだが、亜麻猫のような前衛的なお酒も多く作っており、ディランと重なる。新政を飲むときは、ディランの「廃墟の街」という10分以上にも及ぶフォークバラッドを繰り返し聴く。ディランのざらついた声と新政のすっきりした後味という対立構造が、最高のペアリングとなる。

では、これは誰の論文か。
「日本の酒の変遷に関する考察」 
執筆者は、現在も日本酒を醸す杜氏である。卒論が日本酒をテーマであり、よくあるパターンではないか?と思いきや、少し違うのだ。実はこれ、竹鶴を醸していた名杜氏、石川達也氏のものである。ではこの論文の何が凄いのか。

彼が在籍していたのは、早稲田大学第二文学部である。すなわち、彼は文学部在籍にもかかわらず、日本酒への傾倒が過ぎて、文学のテイストが皆無のテーマを選んだ。凄いことだと思う。相当な文献を読み込み研究を重ねないと、専門外の学術論文は書けない。そのあふれる情熱が、銘酒「竹鶴」を生んだ事実を考えると、卒業論文の関連性を侮ることはできない。

杜氏の卒業論文テーマをデータベース化したら、面白い相関性が見えてくるのではないか。若い頃の研究者としての姿勢が、今の醸造哲学にどう反映しているのか。相関性の有無に限らず想像が掻き立てられ、結構わくわくする。かなりニッチな要望だとは思うが、酔狂な日本酒ギークならわかってもらえると思っているw 

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