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シティ・フットボール・グループ(CFG)で活躍する日本人。(1/3) 西脇さんが歩んできたスポーツ界でのキャリアパスとは?

シティ・フットボール・グループ(CFG)の日本法人で、パートナーシップ部門セールスマネージャーを務める西脇智洋さん。スポーツ界で様々なキャリアチェンジを行いながら、グローバルなスポーツビジネスの最先端でご活躍されています。西脇さんのインタビューを全3回に分けてお送りします。


第一回目は、スポーツビジネス界におけるキャリアの考え方についてです。

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シティ・フットボール・グループ(CFG)の日本法人で、パートナーシップ部門セールスマネージャーを務める西脇智洋さん。

大学~新卒で入社した企業では、「サッカーのサの字」も縁のない生活を過ごした

大学では3つのことに夢中になりました。麻雀、スノーボード、バックパック。留年時代も含めると合計5年間ほど学生をしていたわけですが、大学で勉強をするよりはこの3つに時間を注ぎました。

これらの経験を通じて、見ず知らずの立場が全く異なる方々と積極的にコミュニケーションを行う過程の中で相手を理解して仲良くなっていくプロセスを培うことが出来ました。就職活動を前にして、自分のそういった強みを活かして仕事をしていきたいというのが自己分析の結果でした。選んだ就職先は大塚商会。業界というよりは職種が自分にとっては重要でした。自分の強みを活かすには、営業しかないと思いました。なので、営業職として鍛えられる会社を選ぼうと。入社して5年間、中小企業向けのEPRソフトウェアや業務システムのセールスを行ってきました。毎日粗利が求められ、数字に対するコミットメントをとにかく身につけました。コミットした数字を作るために何をすべきか、営業戦略を立て、活動に落とし込み、日々その活動を完遂していく。現在のキャリアで一番役立っているのは、今でも大塚商会時代の経験だと実感しています。

好きなものにこだわりたい、という思い

大塚商会で主任に昇格したころ、組織における自分のキャリアがある程度見えてきました。自分は何歳くらいで、どれくらいのポジションまでいけるのかな、と。それが見えてきたときに初めて、「これが進むべきキャリアなのかな」と考え直すきっかけとなりました。
そのときに意識したのが、父の存在でした。飛行機の整備士をしていた父は、新しい飛行機の機種の設計図などを見ながら勉強していました。土日もそういった図面とにらめっこしている父の姿から、「自分が好きなことを仕事にするって素敵だな」とうっすらと感じていました。そこで、自分の場合は、好きなものは何になるのだろう?自問自答を繰り返した結果、それは小さい頃から夢中になっていたサッカーでしたが、苦い思い出をずっと引きずっていました。サッカー強豪高で出会った指導者から、「君は全く見込みがない」と言われてしまい、好きなサッカーへの情熱を失ってしまいました。自ら情熱をかけていた大事なものを、自らの判断で諦めてしまったことをずっと後悔していました。だからこそ、もう一度自分が燃えるもの、情熱は何か?選手の道は叶わなかったが、ビジネスマンとしてサッカーをサポートしたいと考え始めました。
その後、大塚商会を退職しリバプール大学サッカーMBAへ留学することになるのですが、その大きなきっかけとなった運命的な出会いがありました。当時そのサッカーMBAコースに通っていた日本人の方が、コースでどんなことを学んだのかとか、日々どういった生活を送っているのかについて、匿名で毎日ブログを更新されていました。当時は、営業の仕事をして深夜自宅に帰って、その方のブログを読むのを楽しみにしていたのですが、ある日の記事で、その方が留学前に学んだという英語学校の記事がありました。何気なくその英語学校のリンクに飛んだら、初めてそのブログを書かれている方の実名と顔写真を見たのです。するとなんと、その方は10年前にニュージーランドでスノーボードに一緒に夢中になっていた仲間だったのです。当時は、お互いサッカーの話をした記憶もなかったのですが、すぐにメールで連絡を取り10年ぶりにその方にお会いしてお話をすることができました。この再会がきっかけとなり、リバプール大学院へ留学することを決意しました。人生何があるのか本当にわかりません。その方と会っていなかったら、間違いなく今の自分になっていません。今でも、尊敬している方です。

スポーツ界で生きていくために持ち続ける”スポンサーシップセールス”という軸

“The University of Liverpool’s Football Industries MBA(FIMBA)”/英国リバプール大学マネジメントコースFootball Industries MBAで1年間、MBAの科目を学びました。ただ、自分は営業出身でしたから、営業から学んだことをサッカー界にどう持ち込むかという視点で考えると、やはり「スポンサーシップ・ビジネス」の深掘りが必要だと感じていました。なので、スポンサーシップに関する文献に多く触れられたのが良かったです。
MBAの授業を受け、図書館でスポンサーシップ・ビジネスに関する文献を読むという生活。大塚商会で培った営業力に加えて、日本では得られなかったスポンサーシップ・ビジネス関する知識やセオリーを日本のスポーツ界に活用したいと考えました。それが、差別化に繋がり、自分のバリューになりました。

2010年、日本に戻ると、日本サッカー協会(JFA)に入局することになりました。当時専務理事だった田嶋幸三さんには、自分の武器とサッカー界に貢献できるポイントを具体的にプレゼンしました。
JFAでは運良く、サッカー日本代表の権利ビジネスの最前線を担当させてもらいました。当時は、まだサッカー日本代表の権利ビジネスを担当しているのは4名しかおらず、なかなか大変でしたが、日本のスポーツ界でもトップレベルのプロパティを扱えたのはとてもやりがいのある仕事でした。
外資系出身だった当時の部長から、自分のキャリアについて準備しておけよ、と言われていました。組織で働く以上、人事異動というのはいつか来るであろう、と。自分は組織人としていくのか、それともスポーツマーケティングの世界で生きるのか、と。その答えを出すことは非常に難しかったですが、長い年月をかけながら自分なりに自問自答をして準備していました。
そして、人事異動の日はとうとうきてしまった。最終的に自分が考え出した答えは、「自分にしかできない仕事をする」ということ。アセットを権利化し、セールスをする、そして資金を獲得する仕事は、誰にでもできる仕事ではないと思ったのです。この0から1を作り出す仕事の意義や、スポンサーシップビジネスの醍醐味を味わっている自分にとっては、スポーツマーケティングの世界でキャリアを作っていきたいというのが正直な気持ちでした。もちろん、様々な部署の仕事を経験させることで、組織を強くしていくというマネジメントも理解はしています。ただ、自分としては、キャリアディベロップメントの観点から、スポンサーシップビジネスをもっと極めていきたいと思い、スポーツマーケティングの仕事がこの先JFAではできないとわかったとき、外に出よう、と決めて退職しました。

JFA退職後は、TIAS(Tsukuba International Academy for Sport Studies)の研究員として働きました。2020年東京五輪に向けて、国内外の学生を集めて、スポーツ界で活躍できる国際的な人材を育成しようという国家事業です。私は、アフター2020を見据え、本事業をサステイナブルに継続していくための資金集めを手伝って欲しいと声をかけられて、ジョインしたのですが、結果としては自分にとっては失敗に終わりました。というのも、資金獲得のためのプラットフォームとして、社団法人化して活動を始めようとするも、社団法人化の合意形成だけで9ヶ月かかってしまいました。当初思い描いていた環境と実際の環境に開きがあったことに気づき、次のキャリアを考えなくてはいけなくなりました。ちょうど、その頃に、シンガポールサッカー代表のスポンサーシップ・ビジネスに携わる機会を頂きました。迷わず、そのプロジェクトに飛び込み、幸運なことにいくつかのスポンサーシップ・ディールを纏めることができました。その時に、海外コンテンツのスポンサーシップ・ビジネスの将来的な可能性を感じ、グローバルなスポンサーシップ・ビジネスにおけるキャリアを検討し始めました。

そして、レピュコム社(現在はニールセンスポーツ)という、スポンサーシップの効果を測定する会社で働きました。当時は将来的なキャリアとして、海外スポーツコンテンツのスポンサーシップをセールスする仕事をイメージしていたので、スポンサーシップの価値はどのように構成されていて、どのようにその効果を測定できるのか?についてグローバルな調査会社から学びを得ることはMUSTだと考えました。もちろん、効果測定の方法を学ぶだけでなく、BリーグやBリーグクラブへ、あるべきスポンサーシップのマネジメントの導入や効果測定のプロジェクトを新規受注したり、充実した日々を送らせていただきました。

その後、グローバルなスポーツマーケティングエージェンシーであるMP&Silvaに入社するのですが、ここでの仕事は最高にエキサイティングでした。サッカー、マラソン、バスケ、フィギュア、野球、ハンドボール等の海外スポーツコンテンツのスポンサーシップ・ディールに携わることができました。お客様のニーズを基に、アセットを仕入たり、細部の権利をカスタマイズして、海外でのアクティベーションを実行していく、思い描いていたキャリアでした。
ですが、残念ながら、グローバルなスポーツマーケティングの波に飲まれてMP&Silvaは倒産してしまいます。
初めて、自分の身は自分で守らないといけないと思い知らされました。どんなに良い会社であっても、未来永劫安定なんてありえないし、会社は自分のことを守ってくれないということ体感することになりました。
MP&Silvaの後は、Linkedin経由でヘッドハンティングの連絡を頂き、縁があって現在のCFGで働くことになります。

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「転職回数が多い」は果たしてネガティブな要素となるのか

「複数回の転職はネガティブである」そのような評判になることに恐れを感じたこともありました。きっと、多くの方々もそう思っているのかもしれません。ただ、実際にここまでのキャリアを振り返ってみると、自分の中で軸を持って、その軸を持ってキャリアを作っていけば、確実に良いキャリアになることがわかりました。
なぜやめたのか、なぜ始めたのか、そして次のステップにどう向かっているのか、自分自身の軸がぶれてなければ、そのような恐れを抱く必要はないかもしれません。
ただ、当然大事になってくるのが、一つ一つのキャリアでしっかりと結果を出すこと。私も、それぞれのポジションで数字を出しているので、その要因もあり次のキャリアを引き寄せてきたというのもあると思います。なので、結果を出すというのは必要最低限かと思います。

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日本人的な発想だと、所属した組織に対しては自分の業務を100%まっとうしないといけないという発想になりがちですが、自分の経験上、雇った組織は誰も守ってくれません。自分のキャリアを発展できる可能性があるのであれば、迷わず飛び込むべきだと考えています。これからは、個人で責任を取る時代だと思います。
自分は数多く転職をしてきましたので、そういう感度、「これがチャンスだ」というのは感覚的にあります。そして、その判断軸は常に会社じゃなくて自分が軸です。そして、変化することは重要。環境も、考え方も、人付き合いも。変化することで成長があると思っています。自分の感覚としては、一歩踏み込むことが怖いという世界に飛び込むようにしている。なぜなら、そこには成長があるとわかっているからです。

(続く第二回第三回では、CFGでの活動や、今後のスポーツ界の取り組むべきテーマについて掲載します。)

西脇智洋(にしわきともひろ)さん
早稲田大学商学部卒業後、(株)大塚商会へ入社。5年間の営業を経た後に退社、リバプール大学でFootball Industries MBAを学ぶ。英国から帰国後、(公財)日本サッカー協会でサッカー日本代表のスポンサーシップを担当。その後TIAS、レピュコム(現在のニールセンスポーツ)、MP&Silvaを経て2018年よりシティ・フットボール・グループ(CFG)の日本法人でパートナーシップ部門セールスマネージャーを務める。
Twitter:https://twitter.com/wakkkkkky

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(取材・構成:SXLP1期/太田光俊)

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