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引きこもりが船に乗った話 (前半)

こんにちは。SWY32のとこちゃんです。
(※ 32nd Ship for World Youth Program)


私は、船に乗る2か月前から引きこもりになりました。

そんな人もいたんだな、くらいに思って読んでいただければと思います。


まず始めに、引きこもりは悪いことではありません。

最近思うことですが、引きこもりは結構意識が高いです。
人と比べて自分を卑下しがちで、自分にはまだそんな資格はないとか、本当はもっと上手くやれるはずとか、上昇思考が強い分最低のレベルで表に出ることが恥ずかしくてできない。
少なくとも私はそうでした。


昔から優等生。
100点は当たり前、あいさつは大きな声で、ありがとうは目を見て言う。
礼儀に関しては厳しめに育ててもらったので、色々な場面で生かされています。

そんな環境で育ってきた私は、大学生になってアメリカやガーナにインターンに行くうちにカルチャーショックを盛大に受け、物事をよく考えるようになりました。

いわゆる、外の世界に触れてこそ内なる自分に気づくというもの。

もともとの知的好奇心と相まって、休みさえあればすぐ電車に乗ってどこかに行っていました。だから大学にも全然いないし、自分の印象を聞いてみるとみんな口を揃えて「忙しそう」と。

そうでしょうそうでしょう、忙しいことは私のステータス。ドヤ。
そんな風に思っていた矢先、突然何かの糸がぷつんと切れました。


最初は、なんかだるいな。この課題、いまやらなきゃだめかな。というようなよくある現実逃避でした。
でも、いつからか現実を拒絶するようになり、画面の中の人をも毛嫌いし、そんな風に思ってしまう自分が嫌で仕方がなくなりました。

とうこ2

船に乗ることは、だいぶ前に決まっていました。


でも、辞退しようと思っていました。

自分には参加する資格がないと思ったから。

でも。

そこは引きこもりな自分の意識の高さに感謝しますが、
この現状から脱却したいという意地と、目標の高い仲間に会いたいという意志と、
少しの勇気があって、やっぱり船に乗ろうと決めました。


逃げるように船に乗りました。
船には、昔の私を知っている人はいないから、というのもあったかもしれません。


正直、めちゃくちゃ怖かったです。
ナショナルプレゼンテーションという、日本人参加青年で作り上げる舞台も、たぶん私だけ練習してなかった。
英語はわりと話せるけど、そもそも日本人とも話していない人間が話せるのだろうか?という単純な疑問。

結論。

全然大丈夫でした。心の底から楽しかったです。

私は、「変わろう」と思って船に乗りました。


まずは現状把握と目標設定が大事だと思い、日記のために持参していたノートに、船を降りる時に自分がどうなっていたいかを書きました。


しかし。
船の上はいい意味でカオスで、予想のできない仲間たちと一緒に過ごす空間。
型にはまった目標はどこかに飛んで行ってしまい、目の前の相手と、そして自分というオリジナルな存在と向き合うようになりました。


ある時。
私は夜遅くまで起きて、日本人の子と、今までどんな人生を歩んでいたかの話をしていました。


お互いに、嬉しかったことも嫌だったことも、浄化するように振り返っているうちに、共通点がいっぱい見えてきて、私たちは沢山の涙を流していました。

泣いている私たちを見たニュージーランドの参加青年が、階段の下からすごい勢いで駆け寄ってきて、きついハグをしてくれました。なんで泣いてるのか分からないけど、心配するからもう泣かないって約束して、と。

びっくりしたけど嬉しくて、また涙が溢れてきてしまい、最後はみんなで笑いました。

思えば、なんだかその時に吹っ切れた気がします。

「私」は、自分に素直になりました。自分はこう思う、こう感じた、ということをシェアの場があればなるべく発言をしました。
もちろん言葉にできない感情もあり、それをそのままにしてとりあえず海を眺めるという方法も得ました。


それから。

想像もしなかったことがありました。

あんなに小心者だった私が、日本人全体のミーティングで「ありのままでいい」というメッセージを発したのです。

船上生活も後半に入り、私は自分の強みが他人に寄り添えることだと気づき始めていました。

世界船は内閣府主催の事業なので、普段色々な活動をしている参加青年がいます。

目標が高いからこそぶつかる壁。
特に船の上の生活は厳しい規範もなく、自分で作っていくものなので、沢山悩み考えます。でも最後は「楽しそう!」というフィーリングが足跡になっていくのです。

変わることが、絶対にいいこととも限りません。

私は、変わったのかもしれないし、本当は変わっていないのかもしれない。
今言えるのは、私はこういうことを感じたよ、ということ。

自分に気づき、自分を認め、時には開示する。

自分に対して内向きの矢印も、外向きの矢印も、向き合うにはエネルギーと勇気が要ります。

それを可能にする空間と人材が、船の上にはありました。

とうこ3

後半に続く。。。)

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