武蔵野美術大学大学院造形構想研究科クリエイティブリーダーシップコースクリエイティブリーダーシップ特論 第1回 田村大 氏

20190410 田村大氏(リ・パブリック共同代表)

田村大。株式会社リ・パブリック共同代表。東京大学i,school共同創設者エグゼクティブ・フェロー。2005年、東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。博報堂イノベーションラボにて市川文子とともにグローバル・デザインリサーチのプロジェクト等を開拓・推進した後、独立。人類学的視点から新たなビジネス機会を導く「ビジネス・エスノグラフィ」のパイオニアとして知られ、現在は、福岡を世界に冠たるイノベーション都市に育て上げる取り組み「イノベーションスタジオ福岡」のディレクターとして、研究と実務の往復に力を注ぐ。(東京大学i.school公式HPより)
リ・パブリックは、持続的にイノベーションが起こる生態系(=エコシステム)を研究し(Think)、実践する(Do)、シンク・アンド・ドゥタンクです。
不確実性と複(雑性がますます高まる社会・経済の中で、セクターを超えて協働し、それぞれの資源や技術、文化を編み上げ、新たな展開を生み出していく、ダイナミックな変化が世界各地で起こりはじめています。
リ・パブリックは、こうした変化を生み出すプロジェクトを構想し、世界のフロンティアで挑戦する人たちと手を携えて、ともに実験と実践を繰り返す共同体を生み出します。(RE:PUBLIC公式HPより)

1 「限界消費ゼロ社会」

更なる社会の技術の高度化、スマート化により、モノやサービスを生み出すコストが「ゼロ」になる社会が訪れるかもしれない。(ジェレミー・リフキン氏『限界消費ゼロ社会』)

つまり人間は、モノやサービスを生み出す「生産者」としての側面をIoTやAIに取って代わられ、「消費者」としてのみ生活するようになるかもしれない。

よって、あらゆるモノやサービスに対して無料でアクセスできる未来が訪れるかもしれない。

だが、それで人間は幸せなのであろうか?


2 Fab Lab

3Dプリンターやレーザーカッターなどの機器や工具を備えた拠点。そこに、市民が自分たちが必要なもの・作りたいものを自由に作ることができる仕組み。「限界費用ゼロ社会」で失われた、人間の「生産者」としての側面を担保する場所になりうる。

実際に、スペインのバルセロナは「Fab City宣言」をし、「人口1万人につき、1個のファブラボを作る」ことを掲げた。

街に創造的な活動を行える拠点を設置していくと、市民自身が自らの生活環境を創っていこうとするムーブメントが生まれた。(例 スーパーブロックス)

3 佐賀県のニューノーマルプロジェクト

佐賀県の伝統工芸品や昔ながらのライフスタイルを、現代の生活に取り入れていこうとした田村さんのプロジェクト。「ものづくり」と「ものづかい」について考え、実践する。

プロジェクトチームでは、「ニューノーマル」を、「身の回りの”土地の力”を無理なく、創造的に暮らしに取り入れることで、一層豊かな人生を手に入れていく営み」と捉えています。このような営みを佐賀に暮らす誰もが「普通に」実践できる仕組みを考案すべく、本プロジェクトではまず、コミュニケーションのありかたに着目しました。これまでの地域のものづくりは、基本的につくり手目線で行われており、つくり手とつかい手の間に分断がありました。その分断を解消して新たな会話の回路を生みだすために、このプロジェクトでは、ものの作り手と使い手、そして両者をつなぐ「一緒に考える人」がチームを組んで、手を動かしながら創造的かつクロスカルチュラルな対話を進めていきます。(RE:PUBLIC公式HPより)


まとめ 「文化の創造者」

田村さんは、今後ますます消費社会化が進むことで、人間が「生産者」としての側面を失い、それが社会の創造性や文化を失うことに繋がることに警鐘を鳴らしている。例えば、画一的な「白いTシャツ」が大量に生産されることでコストが下がり、誰もが気軽に手に入れることができる。しかし、それにはオリジナリティがなく、没個性的になる。つまり、個々のアイデンティティや文化を殺していくことになる。

まさに、近年の大量生産・大量消費文化やグーロバリズムは、人を街を国を画一化・均一化している。元々そこにあった文化を失わせたり、個性が無くなったりする世の中に物心がついた時から違和感を感じていたが、その原因や背景を今回の講義を聞いて整理することができた。

社会の公共性をどう担保していくかという視点にも興味があるが、「生産者」としての立場を忘れた者は当事者意識がなくなるということに起因する部分があるとすれば、今回の話とも繋がると感じた。

メインストリーム化していく動きに対し、アンダーグラウンド化しているものを「文化のイノベーション」という視点で、戦略的で意図的に巧妙に手立てを講じているのが田村氏なのだと思った。文化の概念について、「文化とはズラされた概念。他のものとの対比で位置づけるもの。」と話されていたことが印象的であった。誰しもが文化を創る者であるということは、市民として自立した市民であると言える。教育に携わる者としても、今回の話は目から鱗であった。




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