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ずっと大人になんてなりたくないと思ってた


今日は私の誕生日だ。

誰がどんな風に祝ってくれるかを楽しみにはしているけれど、だからと言って個人の中では何が起こるわけでもない。

18歳では選挙権を得られ、今年はもう少し劇的でお酒が飲めるようになるというのはあるけれど、朝起きて急に身長がオトナらしく20cm伸びているわけでもないし、急にオトナらしく理性で感情を押し殺せるようになるわけでもない。しかも今年に至っては、誕生日だというのに明日17:00までの英語の論文課題を書いている。

もっというとお酒に関しては、今までちゃんと飲まずにいた私にとっては劇的な変化なはずなのだ。「え、偉!ちゃんとお酒のルール守ってるんや」と何人の人に言われたかわからないけれど、偉いとかそうでないとかの問題でなく、純粋に飲みたいとそんな思わなかっただけの話だ。まあ、自分以外がみんな年上の打ち上げなんかに呼ばれた、というような、私が未成年なせいで年齢確認が厳しい店に入れなくて申し訳ないな、となる場面くらい。


そんな私も今日で20歳。大人の仲間入りと言われる20歳なのだ。

今日まで20年間、本当にいろんなことがあった。

良いこともたくさん、悪いこともたくさん。特に人間関係では苦労してきた20年だった。

それでも、大人にはなりたくないと思っていた。

大人なんて、心は子供のまま、身体と生きている年数が大きくなっていっただけだと気づいていたからだ。


クラスの中心にいる派手な子は、派手なまま好き勝手やっても周りに許されるから、傷ついている人のことを何も知らずにそのまま大人になっていくんだろう。

機嫌が悪いと周りに八つ当たりする人は、そのまま大きくなっても自分の子供に八つ当たりするんだろう。

他の子は下の名前+ちゃんなのに、自分の気に入らない生徒だけには苗字呼び捨てする先生は、小さい頃から自分が気に入らない人に厳しい人間だったのだろう。

いつからいつ、どこの校舎で、誰を担当するかのシフトをちゃんと作成できずに人を振りまわすくせに、時給も上げられず、担当生徒を見届けるためだけに1年もいたのに、辞めると言われれば「責任感がない」という責任者は、きっとこれまでも人のせいにして生きてきたんだろう。


そんな大人を見るたびに、こんな大人になりたくないと思った。


未熟なまま大人になって失敗が許されない人を動かす立場になるくらいなら、失敗しても自分の可能性を信じて成長に繋げられる子どものままでいたい。

どうせ大人は子どもの成れの果てなのなら、私は理不尽を良しとせず、正しいと思うことを(言い方には気をつけて)正しいと主張し、おかしいことをおかしいと言える子どものままの大人になってやろうと思う。




さっきまで可愛くないことばかり言ってきたが、今年の誕生日は少し特殊だった。一昨日から昨日の朝にかけては別府にいたし、今日が平日なので代わりに昨日彼が祝ってくれたため、昨日は心斎橋にいた。別府については、また後日旅レポします。

その後、家に帰ってドラマを見て、彼が誕生日祝い人1号になろうと、さらに電話をくれた。半分旅等の疲れで寝かけの状態のまま、彼と電話でドラマ・真犯人フラグの考察をしながら誕生日を迎え、夜中だというのに色々な子がお祝いLINEをくれた。


毎年誕生日に思い、その度に言っていることだが、「今年が間違いなく1番良い年だ」。

彼はハタチだからと、かなり豪華に祝ってくれた。本当に嬉しくて感動したので、この気持ちはあらためてnoteを書きたい。

付き合いがもう18年近くなる幼馴染は、当たり前のように当日夜中に連絡をくれ、プレゼントをくれる。

高校時代、部活で知り合った親友は遥々沖縄からAmazonを使って賢く、でもかなりはやい先週にプレゼントを送ってくれた。

親戚の叔母も毎年プレゼントとカードを送ってくれる。

両親からは私のリクエストで、今年は大学用のKatespadeのカバンをもらった。原価59000円のものを、初利用のZOZOで19000円で賢く頼んだら快くゴーが出た。ZOZO、マジ神。

妹からは、タイムラインのお誕生日機能を使ってメッセージ。「お誕生日おめでとう。これが誕プレな。」と、ご丁寧に念押し付きのお祝いであったが、0:00かつ1番初めの送信者になるようにだけは、気を回していたようだ。

去年までなら高校時代友達だった子も誕生日を祝ってくれていたが、向こうはもう縁が切れたことにしているのか、それすらも無くなってしまった。でも、当時はすごく祝ってくれていたから、幸せだったなと思う。

逆に中学時代は、自分にとって黒歴史として残っているけれど、それでも改めて思い返すと、誕生日を祝ってくれた子はいたのだ。

先輩後輩は毎年祝ってくれていたし、同輩や気が向いた子は祝ってくれていた。誕生日だけは幸せで、死ななくてよかったとその度に思っていたことを思い出す。

そんな考えを打ち消し、全てどうでも良くなるほどに、大学やバイト先の友人がたくさん、ほんとにたくさん祝ってくれた。中には浪人中の高校時代の後輩で、今日は模試だというのに0:00に祝ってくれた子までいた。数年前の自分が知ったら、涙するほど喜ばしいことだ。

「おめでとう」と軽く一言言われるだけで嬉しい。今日を機会にと、日頃のお礼を添えてくれる子もいて、それもさらに泣きそうになるほどに嬉しい。


毎年こんなことを言っている私は、祝われる日だからこそ、毎年誕生日には周りの人に感謝したくなる。

こんな私の誕生日を祝ってくれるなんて幸せだなぁ、と本当に心から思う。


祝ってくれた云々関係なく、今仲良くしてくれる人とはずっと仲良くしていたいと思う。


そして、大人になれなかったら彼らと出会うこともなかったのかと思うと、大人になるのも悪いことばかりではないなと思えるのだ。






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