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『幸せとは 大切な人に降りかかった雨に傘をさせること』か?

幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく 大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだ
        backnumber 「瞬き」より

なんていい曲なんだ、とはじめ聴いた時は思った。

しかし、ほんとうにそうか。

いや、いい曲なことに変わりはない。
幸せの意味に間違いがあるわけでもない。
そもそも、ひとそれぞれである幸せの形に間違いも正解もない。

だけど、わたしは少し違和感を覚えた。


この曲のなかった小学生時代
わたしの幸せは友達といられることだった

この曲と出会った中学生時代
わたしの幸せは泳いでいられることだった

この曲と離れた高校生時代
わたしの幸せは日常だった

そして、大切な人ができた現在
わたしの幸せは『大切』があることだ

大切な人がいること
大切なものがあること
大切な思い出があること


まわりから何かしてもらえることが幸せだと思っていた時代から、少しずつ成長した。

その人のために、時間を使いたいと思えること
その人の願いを、聞いてあげたいと思えること
その人がいてくれるだけで、幸せだと思えること

してもらうだけではなけ、「自分が愛せること」も幸せだと知った。


だけど、大切な人だからこそ傷ついてほしくない。

だから、「大切な人に降りかかる雨」を「大切な人が傷つくこと」だと捉えた時、大切な人が傷ついていて、その横でそれを助けていることを幸せだといっているようなこの歌の歌詞に違和感をおぼえていた。

もし、この歌の歌詞に幸せを見出すとしたら、それは「降りかかった雨に傘をさしているわたし」ではなく、「降りかかった雨に傘をさしてもらっている"大切な人"」が幸せを感じるのではないだろうか。

この歌の歌詞に補足するとしたら、私はこう付け足すだろう。

幸せとは星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく 大切な人の幸せをそばで見守れることだ だけどもしも大切な人に雨が降りかかった時は 降りかかった雨に傘をさしてあげたい

Happy Valentine,
I Love "You" the best in the world.

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