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18歳で自信を失いかけた私に顧問が言った背中を押す言葉

そういえば、この前会社を辞めた。
人生において何かを決断するってひと匙の勇気がいる。
まあでも、もともと決めていたことだし、特に大きな話ではない。
自分を信じて"決める"だけである。
社会人になって様々なことが起こる中で、鋼のメンタルを持っていた18歳の自分を思い出すことが多い。
でも、そんな18歳の私も、どうしようもなく落ち込んだ時があった。

18歳の私は、都内の中高一貫校(女子校)に通っていた。
中1の頃からテニス部に入り、スクールに通う余裕がなかった家計を察して、週末は近所の壁打ちで朝2h、壁を相手に自主トレしていた。
サウスポーを活かしたスライスサーブを中2くらいで研究して身につけたのも、この壁打ちだ。
部活の帰りに本屋に寄って1hや2h、テニス雑誌を読み漁っては、週末に壁打ちに行く。
雑誌に書いてあったアドバイスを元に中3の時から続けたテニス日記は、引退する頃には10冊を超えた。

最終学年の時、顧問の先生は私を部長に任命した。
13歳から18歳くらいの女の子って色々あるもので、私が部長に任命された時は部内は荒れていた。(と、私は感じていた)
私が入部した時の部活は、メリハリがある部活だった。
当時のようなメリハリのある部に立て直したかった。
少しでも一勝できる部活にしたかった。
そこで18歳の私は、色々考えて部活中のルールを作った。
・部活中のテニス以外の私語は禁止(当時、テニスコートで歌を歌う部員がいたのだ)
・練習中は常に足を動かして体を温める
・積極的に先輩後輩問わず、アドバイスする
そんな類のルールをいくつか作り、同学年の幹部に了承を得て実行した。

ある日、普段通り登校した私に同学年の部員から"とある学年全員が、顧問に退部届けを出した"という情報が入った。
どうやら、私が部長になってから部が厳しくなったことが原因だった。
その数週間はどんな気分で過ごしたのか、今となっては覚えていない。
直接部員に話をしようと躍起になる私を、同学年の部員が静止した。
「今、部長が行っても喧嘩になるだけだから、私たちに任せて」と。
自分のやったことに対して何もできないなんて、これだけ悲しいことはない。
ただ待つことと考えることしかできない私は、考えが誤っていたのかと涙が出るのをこらえながら顧問に尋ねた。
もし、私の考えが間違っているのならルールを改めると。
その時、いつも言葉数少ない厳しい顧問はこう言った。

「お前の考えは間違っていない。"部活"は、一つでも多く勝つためにやっている。続けなさい。」

この言葉と、同学年のサポートのおかげで、最後まで部長をやり遂げたし、当時掲げていた思想を貫くことができた。
そして、いつも心で負けてしまうメンバーが引退試合で1つでも多く勝てているのを見て、嬉しかったのは覚えている。

あれから、約10年。
退職する前に、チームメイトからフィードバックをもらった。
「あなたの良いところは、バラバラのメンバーを"チーム"にすることだ」と。
嬉しかったし、それは間違いなく過去の経験から生まれた私のスキルだ。

今も顧問と連絡を取れる間柄であることも嬉しい。

swimmy

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