スランプの話。
漫画家の友達が名古屋へ遊びに来てくれました。(私の現住所は名古屋です)体調不良で連載ストップしながらも描き続けて、ついにもうすぐ念願の単行本が発売となります。その子がずっと「単行本を出すことが目標」と言っていたので、私はついに本が出ると聞いて本当に嬉しかったです。
出会ったのは中学生の時、私の家に新しいパソコンがやってきて、それは当時の私にとっては夢のような遊び道具でした。インターネットの「お絵描き掲示板」というものがあり、パソコンの画面上で描いたイラストを投稿できてそれに知らない人が自分の絵を見てコメントをつける機能がついており、それを通じて知り合ったのがはじまりです。それから一緒にイラストサイトを運営したり、文通してお互いのイラストを交換したりして仲良くなって、実際に会ったり遊びに行ったりする仲に発展していった友だちです。
中学生の時から、彼女の描く絵は本当に魅力的で私は誰よりも彼女のファンでした。その子がプロになって頑張っている訳ですから、応援しない理由はないです。そんな彼女でも、悩み、苦しみ、病気になりながら必死で描いていて、締切の度にスランプになり、人気が出なければ連載は終了してしまうのですから、本当に厳しい世界です。でも、それでも自分には漫画しかない!と言って彼女は今でも描き続けています。その覚悟に触れていると、私も胸が熱くなりますし、自分も頑張ろう!という気持ちになるのです。
趣味で描いているときは、描きたいときに描けばいいのですが、仕事となるとそうはいきません。常に描き続けなければ収入になりませんし、ネタが切れてしまったら描けません。数多の経験がある私の父親と同じ年齢のイラストレーターさんでさえも、技術的にはすぐに描けるけれど、アイディアを絞り出すことだ大変だと言うのですから、漫画家さんや小説家さんの方々で常にネタ帳を持ち歩くというのにも頷けます。
今回はその友だちと、スランプについて話していました。スランプになった時に、どうやって抜け出せばいいか?ということについて話したと言う方が、表現が正しいかもしれません。スランプの抜けかたというのは人によって様々で、いつもと同じように生活をしているうちに自然と抜け出せるという人もいれば、いつもとは全く違うことをしてみることで抜ける人もいるようです。私の場合は、脳に新たな刺激が加わることで引っ掛かっていたものがスッと抜けることが多いでしょうか。友だちは、ぼーっとする時間を作って何もしないことを編集さんにオススメされたそうで、それはその編集さんが実際に意識して取り組んでいることなのだそうです。
スランプというのはつまり「閃き待ち」の状態なのかもしれません。仕事となれば、苦しくとも気に入らなくとも納得できなくとも出し続けていかなければいけない。それをただひたすら続けていくということです。生みの苦しみという言葉をよく使いますが、本当にこれはクリエイターならば誰もが経験したことがあり、またクリエイターでなければ理解できない感覚と言っていいのではないかと思うような、独特な感覚ではないかと思います。
以前に私が描いた絵をメインビジュアルに選んでいただいたことがあるのですが、その時の感覚が超常現象のようでとても印象的だったのでご紹介いたします。
私は基本的な性格として絵に関して評価されたいというような野心があまりないものですから、コンペに参加するようなことはないのですが、この時は参加しないと私が慕っている先生の信用を失ってしまうのではないかという不安がありまして、コンペに参加することを決めました。始めにラフ案を数回描いて、その中から「これがいいかな。」というのを1枚決めて下描きをして、着彩していく…というような感じです。正直あまりピンときていなかったんですが、出すことに意義があるんだ!と自分をなだめるように描き進めていました。そんな時に「この絵、本当に良いと思ってる?」という声が聞こえてきたのです。答えはnoで、でもとりあえず出さなければいけないし…との想いで描き進めていました。
でも、どうしても気が乗らなくて手が止まってしまうのです。悩み始めたので図書館へ行っていろんな人の絵を見たり、家にある画集を見たりしていました。締切の一週間前くらいだったと思います。
それが、ある瞬間に突然頭の中に絵が浮かんだのです。「これだ!」という想いでそれまで描いていた絵を描く手は止めて、新しく頭に浮かんだ絵を描き続けました。締切の数日前の話です。
客観的に考えたら恥ずかしい話ですが「ああ、なんて可愛いんだろう!」と言いながら描いていて、本当に今までで一番イメージ通りに描けた!というほどに気に入った絵ができたので、早速先生に提出しに行きました。とりあえず、ここで私が目指していた「コンペに出す」という目標は完了しましたので、私の仕事は終わったと思っていました。
メインビジュアルは投票によって決まるのですが、その発表日に不思議な出来事が起こりました。
私は中学生の時に、修学旅行のしおりの表紙に選ばれたことがありまして、私のこれまでの人生で絵を誰かと競うという経験はその一度きりだったのですが、それも同じように投票で表紙を決めるという方法で、私の描いた絵に最も票が集まったのですが、その時に2位で見返しを飾った絵を描いた男の子と、何十年ぶりに街中で偶然出会ったのです。正直、中学校の修学旅行のしおりの表紙に選ばれたことなんて、その瞬間まで完全に忘れていたのですが、その出来事によって私はその時の出来事を鮮明に思い出して、なぜか「もしかしてメインビジュアルに選ばれるんじゃないか」と烏滸がましいことを考えていたのですが、その考えが思いがけず的中しました。言葉では上手く言い表せませんが、調子の良い時ってこのシンクロニシティが常識的には考えられないほどに連発して、連鎖反応のように道がどんどん拓かれていきます。
私にはあまり危うい人生を生きたくはないという保守的な考えがありまして、常に努力をしていないと不安というか、努力ぐらいしかすることもないですので、自分なりの努力だけは怠らないようにしようと心掛けてはいるんですが、今までの人生の中で計画立てて上手くいったことよりも、想定範囲外だったけど直感的に「絶対にこっち!」と確信が持てる方に進んだ方が、必ず後々良い結果に恵まれる。というパターンを持った人生だなぁ…と思っています。
しかし、やはり日々の積み重ねというのか、アイディアや閃きというのは自分の中からしか出てきませんから、日頃から興味のあることにアンテナを伸ばしていた結果が、思いがけない形で現れて、自分にある引き出しの中から出したものとその際に求められていたテーマがぴったりと合った時…需要と供給が合致した時に、それが賞という形になったり認められたと判断されたりするように感じます。
そう考えると、スランプも作品を生み出したり創り上げたりするのに大切な過程の一つであるということがよくわかります。
私の彼は映像に音楽をつける仕事をしているのですが、一瞬でできる時もあれば、何時間も曲を探し続ける時もあるそうで、しかし一瞬でできた時は曲を探し続ける作業をしていた経験があるからこそ、自分の中にあるその引き出しから取り出す時間が短く済んだだけのことであり、仕事となるとトータルしてどれだけ継続的に仕事を落とさずある一定のクオリティーを維持しながらこなし続けるということが最も必要なスキルとなって参りますから、彼はスランプをスランプとあまり思わないタイプのようですが、やはり作業としては私や漫画家の友だちがしていることとあまり変わらないのではないかな、と思います。
一番大切なことは、やはり何としてでもその世界との繋がりを絶やさずに付き合い続けること。これが意外と最も難しく、しかし最も必要な資質なのではないかと改めて思いました。家庭の事情や仕事の都合、経済的な問題、壁を感じ始めたらキリがない程に道は簡単に閉ざされてしまいますが、まずは10年続けてみて、それでも何もないということはあり得ませんので、クリエイターの皆さん、自分を信じて諦めずに頑張ってしがみついていきましょうね!
と、自分を鼓舞しながら私も頑張っていきます。
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