私の過去

昨日はドロドロの部分をお見せしてしまいました。でも紛れもなく私の本音です。

私の過去。あやふやな部分も多いですが、一番古い記憶から書いてみます。

多分2、3歳で就園前の頃。いわゆる我が家はワンオペ育児で平日の昼間は母親と二人っきり。記憶の片隅にあるのは、母親の悲しそうな顔。その時遊ぼうと言ってもヒステリー調で断られたことをぼんやりと覚えています。

幼稚園時代はとにかく私の身体が弱く心配が尽きなかったようで、母親が笑顔だったことは珍しかったように記憶しています。

小学生になってから、主に父からの暴力、面前DV、母からの異様な過干渉が始まります。悪いことをしたら叩かれるのは当たり前なんだ、私の目の前で両親が怒鳴り合ったり物を投げるのは当たり前なんだという意識を植え付けられました。高学年になって、「こんなことで何で殴られないといけないんだ」と心の中で思うようになりました。父にその思いを気づかれて引きずり回されたこともあります。母からの過干渉としては、一年生のときに隣の席の男子と喧嘩したことを帰宅して話したら次の日学校を休ませられたり、近所の子と遊んでいる中で揉め事(大したことない)が起きたのを見ただけで私を無理やり家に返して、「ちゃんと言い返しなさい!」と叫んだりしてました。誰かに助けてほしかった。でも誰も気づけなかった。学校の先生に助けを求めるのではなく、父と暮らすよりマシだからと言って、母に父と離婚してと懇願するのではなく、自分で児相に行くべきだったと今思っています。

中学生になって父からの暴力も面前DVも更に悪化しました。その時の父の言い分を覚えています。「お父さんは中学生になったらおばあちゃん(父の母)からこのくらい厳しくされていた」と。それを口実に気に入らないことがあると、すぐに手を出す。しつけ、愛情と称して。面前DVも悪化。これはたぶん私に対する父の暴力も原因の一つ。あまりのエスカレートに母が「それで殴る必要ある?」と言ってくれた(ありがとう。これには感謝)が故に私への暴力から母への精神的DVに切り替わり…という日々が。

中学1年の初夏。私に限界が来ます。学校検診がきっかけで心因性疾患の診断を受け、児童精神科へ。

ここからの話はかなり長くなるのでまた別に。

小さい頃からこんな感じの家庭環境なので、愛着基盤も安全基地もなく。父には殴られないようにせねば、母に対しては感情を揺さぶらないようにせねばと幼いなりに感じていた部分はありました。ただ、私もASDなので不快感を我慢できなかったりしょっちゅういらんことを言って殴られたり、母の感情を刺激してました。被虐待児の割合として発達障害児が多いのも納得。私側にも育てにくさは大きくあったのだろう。もちろん、だからと言って虐待されたことは許せないけど。

※虐待の主な要因として、親側の要因(親の精神疾患、発達障害、被虐待経験など)と子ども側の要因(育てにくい気質、子どもの障害(発達障害も含む)など)、環境要因(ワンオペ育児、孤立、配偶者からの暴力、社会情勢(殴るのも躾のうちだと言われていた時代もあったようです)、親の勤め先の環境など)。これらが当てはまるからと言って虐待に直結するとは言えません。特に被虐待経験がある親は子ども虐待するという考えに繋げるべきではないです。虐待を受けていても育っていく過程で親以外の周りの人からの支援や愛情を得られればその連鎖は断ち切れると言われています。

被虐待児も被虐待経験があってこれから親になる人にも子どもに手を挙げるのを辞めたいと思っている人にも、虐待が行われている家庭にも、適切な支援がいく、社会で人間育てる、世の中になってほしいです。

凄く過激なことを言っているように感じるかもしれませんが、自治体の児童相談所について小・中・高等学校の校内掲示物などで情報を開示してもいいと思います。

助かる命、防げる後遺症があると思います。

※2022/02/04 21:54追記
虐待の主な要因の追加として、親側の要因には望まない妊娠、子ども側の要因には低体重出生児などのこともあげられます。
そのため、望まない妊娠をすることになった女性への支援、低体重出生児の親へのフォローアップも重要になります。

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