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フォロワーさんからサポートをいただいた話。


私のこのアカウント、最近は詩や掌編小説とお笑いが主軸になっていて、それに伴いエッセイを書かなくなっていた。理由は、これでエッセイまで書いたら訳分からないアカウントになるためである。

本来は小説とお笑いで別アカウントにした方が良いのはわかっている。ワンイシューというのはnoteで書き始めた当初から知人に言われていた。基本だと。だが、人間は多様性がある生き物であるし、どちらも私なので気にしないでここまで来た。
それに、今からアカウントを分けるとお笑いのフォロワーさんか文学のフォロワーさんどちらかに移動していただく事になる。自分の中でどちらも大切な方々なので、御足労をおかけする方を選べない。

だが、3つとなるとさすがに散らかりすぎだ。自分でもそう思った。だからエッセイは書かないようにしよう、そう決めて書かないでいた。意識的にやっていたのである。誰も気が付かなかったかもしれないが。
だが、そう決めてしばらく経った後、フォロワーさんからサポートが届いた。
エッセイにである。私のエッセイを読んで、気に入った表現があるからとわざわざサポートしてくださったのだ。

サポートは、自分の文章を確実に誰かが読んでいる証拠である。誰かではない。ちゃんと名前も教えていただいている。メッセージまで添えて。
実は以前にもサポートしていただいたことがあるのだが、それもエッセイにだった。

そうなると、もしかして需要があるのではないか?そう思えてきた。自分の創作よりエッセイの方が求められてるのではないか。
私は綺麗な文章を書く作家が好きで、自分もそういうのを書きたいという思いがある。だから複雑な思いもあるのだが、事実としてエッセイにはサポートをしてくださる方がいる。

私は、またエッセイを書く事にした。ごった煮状態のアカウントになるかもしれないけれど、私のエッセイを読んで、何度もクリックしたり支払い方法を選んだりという手間と金銭のかかるサポートをしてくださった方がいるのだから。

それはとてもありがたい事だ。私はお笑いライブに行く為に1番安い交通ルートを選んだりしているのだ。100円も違わない事に心血を注いでいる。お金の有難みはわかっている。
だから、私は翻意したのだ。
誰が1人でも良いと思ってくださる方がいるなら、書こうと。

本当に1人が決断を変える事があるのだなと、思わず自分を俯瞰してしまった。人の応援は凄いなと。そして私も誰かの応援に回ろうと思った。

私は誰かの応援をしているだろうか。
手放しで。まず自分から進んで。

これは非常に勇気のいる事である。でも、そういう事の出来る人は間違いなく素敵だ。

私もそうします。そしてやはり、推しさんへの愛をより一層深めようと思います。
全てのフォロワーさんへ愛を込めて。

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