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名付けて衣類手記第10話【人付き合いと断捨離】

洞窟第二弾。
もう記事書きたいときにお絵描き在庫ない時困るんで借り物や写真でもいいかなとか思い始めてきた。
そもそもなんの縛りなんだっけこれ。


さて衣類手記第10回目のテーマは【人付き合いと断捨離】

僕は友達が少ないが、いないわけではない。
基本的に去る者は追わず来るものは拒まずでいたが、最近は来るものでも状況によっては拒んだ方がいいと思うようになってきた。
人付き合いの断捨離である。
そう思うに至った理由を書いてみる。

正直な所、友人関係の目的はメリット・デメリットにあると思う。
そりゃ学生時代はノリが合えばそれ以外の理由なしに、パッションで付き合えただろう。
そのままの付き合いができる人間なら幸せだろうけど、僕は残念なことにASDの特性なのかもともとの性格なのか、白か黒か0か100かという考え方からは基本的に抜け出せない人間だ。
メリットと比べ、デメリットが多い人間と付き合いを続ける事に意味を見出せない。

僕にはかつて趣味だけでなく、障害の情報などをいろんな情報をいっぺんに共有できる友人がいた。
が、とあるきっかけから関係に疑問が生じ、結果的に絶縁となってしまった。
話し合いを求められた結果、僕が拒絶されたのだが
その時で別に連絡手段は絶たれていなかったので、弁解の余地はあったはずなのだが
「そもそもこれ弁解してなんのメリットが?」から始まり
「友人関係を続けたい理由はあるのか?」と頭の中を整理したところ、なかった。
その友人と付き合うメリットが、何もなかったのだ。
障害の話を共有できていた頃もあったが、相手は特段未来を見据える気はなかったようだし
趣味においても、僕の周りの人に危害を加える行動を起こした人だった。
結果的に「その友人といても互いの成長には繋がらない」「また僕の周りに人間に危害を加えるかもしれない」という答えが出てしまったので、僕は友人との関係を追いかけるのをやめた。
0か100か思考もこういう時に役に立ったという事か。
これまでの関係が有益な関係ではなかったわけではないだろう、しかし今の自分にとってはただの友人という関係性だけへの依存だったことが分かったのだ。

そしてなんの因果か、その友人との関係をきっぱり切った途端に
かつて仲良くしていて、就職を機に疎遠になっていた人から最近どうかと連絡が来たのだ。
その子は障害を共有できる相手で、似た傾向の趣味もある。
障害の特性で、今はどういう活動をして、何を試みているかなどの話を共有できた。

そしてその友人とは合わなかった趣味が、なんとなく話してみた義兄と合ったためにあまり話すことなかった義兄とも連絡を取るようにもなった。
これぞ断捨離の効果だという事なのか、不必要なものを処理することで、運命は必要な関係を招き入れてくれるようだ。

断捨離、とただ手放すのではなく
自分に本当に必要な相手?その子といて自分は成長できる?相手に阻害されていないか?逆に相手を阻害してないか?というメリット・デメリットをしっかり分析して
その結果で切るのは、大切なことだ。
と思うという話でした。

そうして僕の縁は、また少し広まった。

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