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理性・道徳・正気・社会通念

ーそして年が明けた。ー

捨てそびれた必要のないものを今年は処分する。

正気で考えた人生戦略、そりゃそうだよねという道徳観、これ以上はやばいとリミッターの役割を果たす理性、空に低く横たわる社会通念。

これらに指針をゆだねてきたここ数年を振り返って、表層的な評価でなく「じぶんじしん」は本当に満足しているだろうか。いや、残ったのはとても理性的で合理的、そしてこれからの生活をいくらか豊かにしてくれるであろう陳腐なアウトプットの数々だった。

岡本太郎は言った。「命を懸けて自分自身の運命と対峙すれば命がぱっと開くじゃないか」と。

脳で考えるまでもなくみなわかっていることだ。じぶんじしんが満足しているかどうかなんてことは。

人間、出会うべき時に出会う人・本・事象があると思う。

今の私に必要なものに、今私は出会い始めている。

比喩ではなく何かを欲する人はみな命を懸けるべきなんだと思う。ここ最近を振り返って自分が「生きている」という実感があるかどうか。頭で考えなくても、わかるよね。

あれやこれやと利口な判断をして私たちはいったいどこへ向かうのだろう。誰を喜ばせたいのだろう。きっと私たちが死ぬ間際思い出すのは、打算や理性で行われた意思決定の数々ではなくて、「じぶんじしん」が1ミリでも動かされた、そんな瞬間のことだと思う。そこには善悪も意味もない。目的も自己実現もない。ただ「強烈にいのちがゆさぶられたか」それに尽きる。

もはや今年の具体的数値を伴った目標などどうでもいい。ただその瞬間で必要なことを試していくだけのことだ。




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