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能力の優れた人が劣った人を否定することなくどう活かしていくか?



以前から思考が鋭く面白いのでTwitterでフォローさせてもらっている
コンサルの安達裕哉氏の新書「頭が良い人が話す前に考えていること」
という本を読んでいる。
まだ途中なのだが気づいたことがあったのでメモしていく。

本書で以下のような項目があった。

知識は人のために使って初めて知性となる

これに関して思うことが最近あったので書いておこうと思う。

私は、日常的に知識や経験、また知能指数(ただの肌感)、自己理解度において私と差がある人たちとのコミュニケーションにおいて非常に苦労している。

こちらとしては画像や文章を用いて、なるべく誤解のないように言葉を尽くして説明しているつもりなのだが、受け手がそもそも文章が読めない・読もうとしないため伝わらず、その結果通話で逐一説明させられるという非常に非効率なことを強いられている。

こういった人達は、特にリモートワークでは非常に厄介である。
おそらく適正がない。文章が読めない以上は、通話で話すのは業務遂行上仕方のないことではあるが、それは彼らの能力不足によるところで、こちら側が最大限譲歩した上で理解できない・しようとしないのであればこちらからは打つ手がないようにも思われる。

が、どんなにお金を持っていてもそれを使える場所がなければただの紙切れ・金属片でしかないのと同じように、
知識や思考力、その他もろもろの能力は受け手に正しく届かなければ本質的には無意味である。

冒頭に上げた本書内では、タイトルからも分かる通り非常に平易な文章で綴られている。著者の普段のTweetで使用されている文章よりはいくらか平易に書かれている。
このこと自体が「知識は人のために使って初めて知性となる」ことを体現している。

私も色々と思索し、また自分なりに考えて得た気づきの点と点を繋げていく作業が好きで、それにより思考が鋭敏になってきている気がしている。
しかし、それらを他の人にも分かるように使えなければあまり意味がないかもしれない、とも思った。

話は変わって、様々なバックボーンを持つ起業家の卵たちが3ヶ月で事業を立ち上げる、という趣旨の起業リアリティーショー:Nontitleという番組がYoutubeで人気である。
これを最近全て見終わったのだが、結局あらゆるビジネスで重要になるのは個々の能力値や事業云々ではなく、
「能力の優れた人が劣った人を否定することなくどう活かしていくか?」
が組織運営のキモであり、またそれをコントロールできたチームが優位にビジネスを進めているように見受けられた。

"能力で劣る"とはどういうことか考えてみよう。
大きく分けて以下の2つであることが多いと考える。
➀経験がない、適切なトレーニングを積んでいない
➁自己認知が歪んでいる、修正力がない

それぞれ解説していくと、
➀は純粋に未経験であるため、
「知らない」という状況である。
会社の新人などがこれに当たる。これは当然といえば当然で、特に問題視はされないだろう。

➁に関しては、
「自分自身の現在地を示す地図がない」状態である。
人は自己や他者の評価を手がかりに、自分の相対的な能力値や位置を推し量り、そしてそれに応じた生存戦略を取っていく社会性を備えた動物である。しかしその能力にも優劣があり、またそれがほぼ機能していない場合、お互いが持っている前提となる情報に大きく乖離が起きるため意思疎通が非常に難しくなる。

不幸なことに、これらを発症させている人達は➀のような比較的若年層のみならず、中堅からベテランまで幅広く分布し、また彼らは➀の新人達とは違ってそれなりのプライドを持ち合わせているため、伝え方が非常に難しい。

彼らには彼らの表象があり、その中で彼らは有能だからである。

また、優劣を語るときに「それは優生思想だ!」と決めつけてアレルギー反応を示す人達がいるが、これは「この世のすべては不平等である」という動かしがたい原則を言い換えているだけであり、なんら特定の人を蔑む内容ではないはずだが、これも現状の認知が歪んでいることを表している。

こういった人たちに一体どのようにしてチャンネルを合わせていくのか、それが社会、ひいては人類全体における大きな課題であることを最近の気付きで痛感したのである。

これに関して、本書および日常で気づきがあればまた書いていきたいと思う。

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