見出し画像

困った時の相談先

去年の11月から12月は、本当に底つき状態だった。
原因は、離婚した妹家族が越してくるという家族構成の変化。

妹とは仲が良く、小さな姪っ子たちのことも考えると、妹の判断は賢明だと思ったし、大人たちだけの家に子供が来るのは、“太陽たちがやってくる”ような嬉しさもあり、welcome!な気持ちが、そう告げられた時の第一印象だった。
越してくるとわかってから、なんとなくの心の準備はしていたつもりだったけど、
もともと変化に弱い私は、毎日押し寄せてくる些細な変化に順応するのに時間がかかり、その間、子供が幼児返りをするように退行し、毎日過食嘔吐が止まらない日々が続いていた。

妹たちと関わる時間帯をジムへ行って回避しようと試みたり、普段から連絡を密に取り合うようにしているクリニックのワーカーさんや保健所の職員さんに1日何度も電話をして吐口にさせてもらったり助言ををもらったり、食事の時間帯を変えて自室でこもってみたりもしたけど、何をしたって過食以外のことへうまく興味や、意識の方向性を向けることができなかった。


そして、どうして私ばかりという被害妄想や、AC的思考が強く、大人の私が本来ケアしてあげるべき姪っ子たちに何もできずに過食している自分に対する
自責感、無力感、焦燥感、罪悪感、自分の存在への嫌悪感でペシャンコに押しつぶされていた。
約2ヶ月間、過食嘔吐の消耗から週に2日は寝潰していたし、とにかく朝起きるのが怖かった。
目覚めの瞬間に、「死にたい」という言葉が頭や身体中を這い回って、ベットから起き上がることもできなかったり、日中も持ち直したと感じても、すぐに鬱の波が押し寄せてきて乗っ取られていた。

そんな状態だったので、適切な相談先は命綱となっていた。


摂食障害になってから、初めの10年間は摂食障害のことを適切な人に相談する術を知らなかったので、友達や知人に話して関係がおかしくなったり、わかってもらえない悲しさを感じたり、心の弱みから不適切な交際相手を選んでしまったりと、とにかく人間関係でのトラブルが絶えなかった。
病気になってからの人間関係をどうするかは、とても大切なスキルだと痛感するけど、その点のことを誰かに教えてもらったことがないように記憶している。
そういう教育ってほとんどないし、症状の真只中にいた20代の私の頭ではそこまでの知恵をつけられる状態じゃない上に、アディクションマインドが強すぎて人の話を聞ける耳を持っていなかった。おバカで世間知らずの若気の至り的なところも満々で・・・。
だからただ、否応なしに体当たりで自分が傷ついたり、傷つけてしまったりする中で、誰に何を話すかが命の選択くらい大事だということは、傷つきながら気づくしかなくて、気づいてからは用心するようになった。
上部では何もないように装いつつも、お金を払って健康保険外のカウンセリングをしたり、占い師やセラピストに話したり、Webサイトのメールカウンセリングを使ったりして、自分のことを話すことにずいぶんお金をかけてた。

たわいない雑談が苦手で、相手の状況の想像しにくさという人とのコミュニケーションがとりにくい発達障害の特性も、そのお手伝いをしていたと思う。すごく混乱していて、困っていて、悩んでいて、辛くて・・・。でも、電話の連絡先一覧を見ても誰に発信していいのかわからなかった。そして家族へは病気のことは、私はあまり話をしないようになっていった。
経験のないことはわからない上、家族だと距離が近すぎてトラブルになることが多かったから。

そうこうしている数10年に、精神科には「精神保健福祉士」という資格を持った“ワーカーさん”という存在がいて、主治医とはまた違った視点から適切なサポートをしてくれたり、経済的な問題や困難を少しでも緩和できる方法などを教えてくれたり、病院選びのサポートをしてもらえることがわかったり、居住地の自治体でもそういったことの支援センターや保健所の存在があることを知った。
閉鎖病棟での入院中もワーカーさんの存在は、面会回数や相談の日にちが掴めない主治医より頼りになることが多かったように思う。
保健所など行政の支援センターでは相談するのにお金はかからない上、いろいろなケースを経験してきたプロの職員の方に話を聞いてもらえる安心感はとても心強かった。

居住地の保健所でも「精神の担当の方はいらっしゃいますか?」と尋ねれば繋いでもらえるし、都道府県の保健センターのようなところも、「これこれこういう事情で困っていて・・・」と話せば、適切と思われるところを紹介してくれたりもする。


施設へ入ったのを機に、依存症の当事者同士を「仲間」と呼び、その交流にも救われた。
同じ経験を持つ人しかわからないことが沢山ある。
今も時々連絡をするけれど、お互いに病気同士なので話がこじれてぐるぐるした挙句に「お手上げだから第3者を巻き込もう!」という結論に達したこともあって、それから境界線を気にしすぎて私はどうしても気を使いすぎてしまってうまくいかなかった。

最終的に着地したのが、行政のワーカーさんと、クリニックのワーカーさんにおおむねの話を聞いてもらうことだった。
困った時の適切な相談先をいくつか担保しておくことは、必須に感じる。
第3者の存在がなかったらきっと私は死んでいただろうと思う。
でも、援助を受けながら最終的に問題を解決するのはいつも自分。
どこに着地するか、何が幸せなのかは自分にしかわからないから。
提案はあくまで提案なのだということも、私はいまだに勉強中。


自作の折り紙のリースを贈り物に

誰に何を話すか。
どんな話をするか。
今の私は困りごとの話が多いけれど、いつかそれが、心から愉しかったり、喜びに満ち溢れた「相談」じゃなくて、「交流」になったらいいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?