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求めて良いもの、求めてはいけないもの

先日たまたま目にしたブログの内容がとても面白く、考えさせられた内容でしたので本稿を書いてみようと思います。

そのブログの内容はカール・マルクスの資本論をベースに、「婚活はなぜあんなにつらいのか」という問いに答えたものでした。

私パラディソはその経歴に“25歳無職デキ婚”という輝かしいステータスを保持していますので、婚活の経験はありません。

しかし、妙に納得してしまいました。

要約すると家族やパートナー、友人関係に資本論でいう“物象化”が主として挟まってくると悲しく、虚しく、つらくなるよね、という内容です。

※興味がある方は上記から是非オリジナルのブログ記事を読んでみて下さい。

※物象化=人間関係が物と物の関係のように扱われること。「機能」として他者を扱うこと。

私達の生きる社会とは

このブログ主さんはこのように書いています。

資本主義と能力主義の現代社会で生活する私たちは、会社など労働の場でもっぱら「機能」としての自分を切り売り(物象化)して換金し、家族や友人らプライベートの場で「情」としての人間関係を営んでいます。

で、どうも人間は他者から「機能」としてのみ扱われることに苦痛を感じるらしいんですね。「機能」としてだけではなく「情」を持って扱って欲しいと人は願ってしまう。これは「機能は交換可能だが、情は交換不可能な唯一性を持つものだから」ではないかと考えられます。

https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2023/01/23/171921

だから、恋愛はあれだけ心が動き、伴侶やパートナーの存在は掛け替えなくて、ゼロ見返りで子供たちの幸せを心から願い、気の合う友人とは何十年経っても、あの時と同じ酒が飲めるのでしょう。

会社やビジネスでの繋がりでも、中には気の合う友人化する出会いや関係も生まれてきます。

しかしそれは、作ろうとして作れるものではなく、様々な境遇や時間が重なり、非人工的に生まれる、偶然の産物でしょう。

悲しいかなそんなプライスレスで、打算計算では絶対に手に入れられないモノが「幸せのカタチのひとつ」なのだという現実は、資本主義社会で生きる我々の宿命かもしれません。

この逆をやると不幸になる

そんなことを考えさせられていると、ふとあることに気付きました。

「あれ、これの逆をやるとそれはそれで不幸になるな」

要するに、資本主義社会とはその宿命上、資本の拡大をひたすらに目指すように駆動されているので、営利追及組織(たとえば株式会社)で、「情」のようなものを主体的に作り出そうという活動は、婚活マーケットで「機能」を最重視したパートナー選びをするように、その目的に沿わないものになるのではないか。

もちろん、ビジネスや会社組織運営も人間が営む活動なので、0 か100かという単純でシンプルなものではありません。

ファジーな領域は多分にあると思います。

しかし、企業は利益を追求することが合目的です。

めちゃくちゃ儲かっているわけでないけど、事業はそれなりに回っている。しかし離職率が高く、近年業績が伸び並んでいる、という企業があったとしましょう。

そこで、その企業の意思決定者は「業績の伸び悩みは高い離職率がボトルネックだ!」と課題設定したとします。(よくある)

事業拡大のボトルネック(仮説でも)になっているのであろう会社にとって高い離職率を改善するために、あーでもない、こーでもないと課長や部長クラスが早期離職の理由を追及したり、戦力人材離脱原因の分析をします。

しかし、最終的には経営の意思決定として「離職が多いのは社員同士のコミュニケーションが希薄であるからだ」と決めました。(よくある)

・仕事の話ばかりでなくプライベートな事をもっと知る必要がある!

・ヨコやタテ、ナナメの関係性を強化する必要がある!

・誰を誰の相談役にして公私ともにキャッチアップ!

・もっとイベントを!飲み会を!プライベートも一緒!

・師弟関係!

などなど、見事なまでの愚策や感情論先行施策が生まれ、それに嫌気した本気で仕事に向き合いたい優秀な若手が居なくなると。(よくある)

やはり、ファジーな部分を認識しつつ、仕事(ビジネス)は仕事(ビジネス)で「機能」的に握った方が良いのだろう。

経営者は孤独

社長は孤独とはよく言われますが、実際、孤独なのだと思います。

特に何か意思決定する際、孤独に、冷徹に、時に大胆にならなければいけない局面もあることと予想します。

しかしながら想像してみて下さい。

もし、孤独なエライ人がビジネスを離れた家庭でも“お金を沢山稼ぐ”という機能でその役割を期待されていたとして、本来そういった人間の物象化から逃れられるはずの家庭で逃れられない場合、最大権力を振るえる自組織で“情”を求めたくなるケースを。

ただ、その孤独に負けて、ビジネスの場に過度な「情」をデザインしようとしたり、それを意図的に作り出そうした瞬間に、それはまた関係者全員が不幸せになりそうです。

それぞれ立場や状況は違えど、我々人間は、この資本主義社会の中で”幸せになりたい”と願い、日々懸命に生きています。
※不幸になりたいと願う人を見たことが無い

その幸せ追及のプロセスの中で、「情」や「機能」の出しどころを間違えた途端に、点で見れば間違っていないコトも、間違ったコトになる。

まとめ

あの日あの時あの場所で、人には求めて良いもの、求めてはいけないものがあるんだ


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