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フォローやスキと承認欲求

私はこのnoteを始めて以来、毎日、いや、スマホを見る度に、パソコンを開く度に、そのベルのマークを見てしまう。
スキが来ていないか、フォローがついていないか、あるいはコメントが来ていないか、そんなことで一喜一憂している。
それは承認欲求から来るもので、誰かから評価されると気持ちのいいものなのである。
私は昔から承認欲求が強く、現在も小説家になって歴史に名を残してやろうなどと本気で考えている。というかほぼそれが人生の軸になっている。
承認欲求とはそもそもどういうものだろう?
歴史に名を残すことで満たされるものだろうか?
そもそも私は死後の歴史を見ることはない。
となれば、承認されたという満足感は現在の私の価値を確かめるためだろう。
しかし、そんなことでいいのだろうか?
他人から承認されなければ自分の価値を見いだせない弱い自分でいいのだろうか?
心が強ければ、自己満足で事足りるのではないだろうか?
小説家になって世間から認められたいと思う私にとって、小説家になるということは、「夢を叶えた」という自己満足が欲しいからかもしれない。
スキやフォローを求める気持ちは「夢を叶えた」という満足よりは小さいが、それでも「誰かに認められた」という歓びを感じたいからだろう。
ただ、スキやフォローが欲しくて手当たり次第他の人の記事を読みもせずスキを送る人がいるようだが、そういう選挙活動みたいなことはしたくない。
私がフォローを送るのはその人の他の記事を読みたい場合であり、スキを送るのはその人の記事が良いと思ったから素直に送る場合と、その人の記事を読んで自分の記事を読んで欲しいと思った場合にスキを送る。
noteの運営者にはこうした楽しい場所を作ってくれたことを感謝したい。
ただ、スキやフォローに依存するようにはならないように注意したい。
先にも述べたように自己満足で事足りる人間になりたい。
それは小説家になりたいという夢と矛盾するだろうか?
小説で自己満足するとは売れたから満足するというより、満足できるものが書けたときに満足するのだろう。承認欲求はその自己満足に他者の共感が加わることだろう。自分が満足していない作品が売れたからといって、満足できるものではないだろう。
noteの記事でも自己満足の高い記事が多くのスキを集めると嬉しいが、自分ではそれほど満足していない記事が多くスキを集めても違和感がある。
自他共に認める作品を書いていきたいものだ。


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