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読むことと書くこと。小説家を目指す者はどうすればいいか?

先ほど、短編小説を一作物した。
そのあと続けて二作目も書こうと思った。頭の中に次から次へとアイディアが浮かんできたのである。しかし、そのまま書けばいい物を、夜なのに近所のスーパーでお菓子を買ってくるという、悪習をしてしまって、帰ってきてお菓子を食べながら他の人の文章を読んでいた。そして、お菓子を食べ終えて、さて書くか、と思ったとき、もう書けなくなっていた。アイディアがまるで浮かんでこなかった。
読む脳みそと書く脳みそは違う所にあるようだ。
では、小説家を目指す者は、読むことと書くことをどう使い分けたらいいだろうか?
時間に関しても、読む時間と書く時間の割合をどの程度に割り振ればいいのだろうか?
私は一年四ヶ月毎日「小説家になろう」に即興小説の長編を連載投稿していた時は、書くこと専門で、noteにエッセイを書くか、「小説家になろう」に小説を書くか、それしかしていなかった。読書はほとんどしなかった。その期間は、夜、小説を書くために晩酌も一切しなかった。アルコールは小説を書くには適していない。
読むことはどうだろうか?他の人の文体に身を委ねることは自分の文体を手放すことになりはしないだろうか?
自分の文体はたぶん書いているときに磨かれると思う。
私の場合、少し古い、西洋からの翻訳小説の文体をモデルにしていると思う。自分が一番普通だと思う文体がそれなのだ。つまり西洋の翻訳小説を読んでいるときはかなり自分の文体に近いのかも知れない。
それでも読む脳と書く脳は違う気がする。
しかも、小説を書く脳と、エッセイを書く脳、哲学論文を書く脳などと違いがあるように思う。小説でも、ファンタジーか、コメディか、純文学か、などで書く脳に違いがあるように思う。どれが本当の自分の文章、文体なのか決める必要はないとは思うが、一番磨きたい文体を鍛えるのが重要に思う。
私が一番磨きたいのは冒険ファンタジーの文体である。
いや、文章を考える脳と物語を生む脳とでも違いがあるのかも知れない。

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