分人主義について考える。ある分人が別の分人を人質に取った件
私の個人的な話だ。
もう三十年前になる。
私の父は優しい父だった。
そして、厳格な中学教師だった。
私が小学生になった頃、世の中にファミコンが登場した。
私の父は何度頼んでもファミコンを買ってくれなかった。
私が中学生になるとき、スーパーファミコンが世に出た。
私はまた買って欲しいと言ったが買って貰えなかった。しかし、中学二年生のクリスマスだろうか、母が買ってくれた。私は毎日夢中になってスーパーファミコンを楽しんだ。
しかし、私が中学三年生の秋のある朝、私の学業成績が落ちたのをスーパーファミコンのせいにした父は、母と口論の末、そのゲーム機を持って出勤し、捨てた。私が起きてリビングに行くとゲーム機のコードが無残に切られてあった。私は激怒した。私は家を出て近所のゴミ捨て場を走って回ったがゲーム機はどこにもなかった。私はしかたなく学校に行った。
もう父とは一生口をきかない、そう思った。
家に帰ると、すぐに父も帰ってきた。廊下ですれ違うとき、私は無視する気でいた。すると父は、あの優しい父の顔でいつも通りに、笑顔で「ただいまー」と言った。いや、笑顔を無理に作ってそう言った。私は瞬時に父の思いを忖度した。ここで無視したら、一生無視することになり、家庭は暗くなる、だから、今まで通りにするんだ。私は笑顔で「ただいま」と言ってしまった。それ以来、三十年私は父と話をしているとき、父を思うとき、常に「スーパーファミコンを捨てた奴」という思いがある。優しい父と笑顔で話すとき、常に腹の底には怒りの炎がくすぶっている。
こういうことを書くと、いつも興奮してしまう。
しかし、今回は平野啓一郎氏の「分人主義」の考え方に従って、客観的にこのことを考察してみたい。
まず、私にとって父には、「優しいお父さん」という分人と、「厳格な教育者」という分人があった。平野氏の分人主義の思想ではこういうペルソナ的な意味で分人を語っていないと思う。平野氏は誰かとともにいるときの分人と、別の誰かとともにいるときの分人というふうに、対人関係で私たちは分人を使い分けていると言う。つまり、平野氏の言うとおりだと、私の前ではひとりの父しかいないということになるが、どうだろうか?平野氏はある他者との関係性の中で複数の分人が存在すると言っているだろうか?つまり、ある他者の前ではいつも同じ分人だろうか?そういうことを問題にしたい。
上記のように、私の前で父は厳格な中学教師と優しいお父さんを使い分けた。厳格な中学教師はスーパーファミコンを残酷にも捨てた。そして、家に帰り私と顔を合わせると、優しいお父さんの顔で何事もなかったかのようにされた。これは私から見れば、優しいお父さんを厳格な中学教師が人質に取ったように見える。私は厳格な中学教師を殺したいが、優しいお父さんまで殺したくない。つまり、優しいお父さんを人質にして厳格な中学教師は生き延びているのである。
人は対人関係において分人を使い分けて生きているというのが平野氏の分人主義だが、ある同じ他者に対して、分人を使い分けることは可能だろうか?
そこで、例を出そうと思って、いろいろ考えたが、やはり身近な話をした方がやりやすいので、私と父の話をしたい。
私の父は、私が中学二年生になったとき、私の中学の教頭になった。
私は、学校の廊下で父とすれ違うときどんな顔をしたらいいかわからなかった。なぜなら、家庭での私の分人と学校での私の分人とまったく違ったからだ。私は普通の中学生のように友達とふざけることが多かったが、その分人を家で、とりわけ父のいる前では見せることはなかった。また、父が教頭になるまで、私にとって父は「お父さん」であり、教頭ではなかった。
私の父は自覚はないものの、まさに分人主義的に生きている人間で、家庭では私たち子供に対しては一人称「お父さん」を使用していたが、同居している祖父や祖母や母に対しては一人称を曖昧にし「自分」という言葉を使った。自衛隊員などが、明確に、一人称を「自分」というのと違って、父の場合、本当にごまかすように使った。「俺」とか「僕」とか「私」という一人称を父が使うことは一度もなかった。どうしても一人称を強調せねばならないとき、父は、自分の鼻を指さし、「この人」と三人称で自らを指した。父は周囲との関係性の中で分人を使い分けていた。
私は高校生くらいまで家庭では一人称に自分の名前「イサム」を使った。友達の間では、小学生までが「僕」であり、中学生になる頃には「俺」を使っていた。それが中学で教頭の父親と話さねばならない機会があったら、どうすればいいのかさっぱりわからなかった。
一人称の「俺」「僕」「私」などは非常に便利な言葉である。もちろん女の場合「私」で一貫できるが、伝統的に社会関係で生きてきた男の場合、立場によって、「俺」「僕」「私」を使い分けねばならない。英語では「I」のひとつで通るから非常に便利だ。もしかしたら一人称がひとつしかない言語圏では個人主義になり、一人称が複数ある言語圏では分人主義になりやすいのかもしれない。
それにしても、私が家庭で「俺」を使うまでは長くかかった。
そう言えば、現在でも迷いはあり、母のことは「お母さん」と呼ぶのだが、父のことは「お父さん」と呼び続けるべきか、「親父」と面と向かって言うか迷っている。外で父親のことを語るときは「親父」を使用している。母親のことは外でも「お母さん」だ。昔ならば、「お袋」と呼んだだろう。
そういえば、高校時代の友達で、中学生のときにある日突然、父親を「お父さん」と呼ばずに「親父」と呼んだら殴られたという者がいる。羨ましいエピソードだ。それは、昔で言えば、母親を「お袋」と呼び出すのと同じだろう。要するに親からの自立を言葉の面からするのに呼び名を変えるのはわかりやすい。これが平野氏から見れば、「個人主義の時代はそうだった」となるのだろうか?もし、平野啓一郎氏が、幼い頃から親の前で自分を「啓ちゃん」と呼んでいたら、今でも「啓ちゃん」だろうか?友達といるときの分人、母親といるときの分人と分かれるならばそうかもしれないが、十代で親から精神的に自立していくとき、精神の居場所は、親から離れ、友達や恋人のほうにシフトしていくのではないか?恋人を親に紹介するときに、自分を「啓ちゃん」と呼ぶか、「俺」と呼ぶかで、親といるときの分人と、恋人といるときの分人のどちらを取るか、決断に迫られる場面だと思う。まさか、私の父親のように、一人称を持たず、「自分」とか「この人」とは呼ばないだろう。私はすでに親に対しても「俺」を使っているが、恋人を両親に紹介するならば、そこに分人の統合があると思う。その統合の頂点にあるのが個であり、ここに重きを置いたのが「個人主義」だ。
つまり、人間はもともと分人であり、個を作り上げていく存在であると思う。こう言うと平野氏の分人主義から逆行するようだが、親から精神的自立をするには、友達の中での分人と、親の前での分人が出会ったら、友達のほうを取るのが、取るべき道ではないだろうか?
平野氏はひとつの本当の自分を見つけなくてもいいと言う。誰かとの居心地がいい分人が複数あっていいと言う。しかし、「これが本当の自分だ」と思ったときの充足感はやはり私たちを魅了する。それは対人関係でなくとも、例えば好きなスポーツをしているときとか、好きなテレビゲームをしているときとか、なにか作業をしているときとか、この時間がたまらなくいいというのがあるはずだ。
本当の自分は複数あって良く、その自分になれている時間が一日のうち長ければ長いほどその人は幸福と言えるのではないだろうか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?