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闇から光へ

過去とは語るべきものだろうか?
未来は語るべきものだろうか?
私は十代から二十年、未来と過去しか語ってこなかった。
そのために青春は空虚なものとなってしまった。
空虚。
それはなんだろう?
私は未来のために本を読んできた。
本を読んだが周りの景色を見なかった。
そこにはいわゆる「青春」というものがあったに違いない。
だが、私の実感として青春とはその中にいるとき、ドロドロとした心のうちとの戦いだったように思う。
私の青春は暗かった。それを青春と言うならばの話だが。
肉体労働と読書だけだった。
友達と遊んだことはほとんどないし、恋人とデートなどということはしなかった。
汗を流し、クタクタになって家に帰り、本を読む。
クタクタな体では明晰な読書はできず、脱力感のある文章しか読めなかった。
それでも休日は難しい本に挑んだりもした。
それが私の二十代だった。
青春とは素晴らしい?
私の青春はただの下積みだった。
三十代は、ようやく定職に就けた。
エアコンの効いた屋内で体を軽く動かす仕事で、家に帰ってからは、明晰な思考で読書ができた。
そのまま四十代になり、今、私は小説を書いている。
もう下積みは終わった。
ようやく私の「生きる時代」がやってきた。
暗い青春時代の読書が役に立つ時だ。
一生明るい光の中にいる人を昔は羨ましいと思っていた。
しかし、今は違う。
闇を知らないのは、人生の半分を知らないのと同じだ。
闇を知ってこそ、光の眩しさを感じることができる。
今、私は目眩がしている。
闇からいきなり光の中に出たからだ。
もう、闇へは戻らない。
闇は優しく手招きするが、応じたりするものか。
過去は闇だ。
未来もまた同じく闇。
光り輝く現在。
私は闇を知っている。
だから光の眩しさを。

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