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待ってろよ。ジャンダルム!

私はこの夏、ジャンダルムに登るつもりだ。
思えば、三十四歳から始めた夏山の単独登山、現在四十五歳の私は十二年目になる。
一昨年は、前穂高岳から雨の吊り尾根を通って日本第三位の高峰、奥穂高岳に登った。
去年は百名山最難関と言われる剣岳に登った。
今年の五月には八ヶ岳の赤岳に未明の霧の中登った。
これらの登山は過酷であった。
この赤岳に登ったときに思った。
「期は熟した、ジャンダルムに登ろう。」
ジャンダルムとは奥穂高岳と西穂高岳の間を結ぶ岩の稜線上にあるひときわ大きな岩塊のことである。
そこは北アルプス一般ルート最難関と言われている。
一般ルートとは、一般登山者が登るルートという意味で、もっと上級者になるとバリエーションルートと言って、さらに難しいコースを登ることになる。
私は一般登山者に過ぎない。
しかし、ジャンダルムは行けると判断した。
ただし、西穂高への縦走は無理だ。
奥穂高からピストンで戻って来るのが、私の現在の技術では相応しいと思う。
しかし、悪天候ならば中止しようと思う。
吊り尾根や、赤岳で、悪天候の登山がいかに難易度を上げるかを実感したからだ。
そういう経験を踏まえて私はジャンダルムに挑戦することを決めた。


 
ところで私は、精神を病んでいる。
統合失調症という病気で、精神病の中でも一般的で厄介な病気だ。
寛解はするが完治はしないと言われている。
しかし、私はもうこの病気と付合って、二十九年になるが、完治するかもしれないと思っている。
登山がその思いに至らせてくれたひとつのきっかけである。
今日はジャンダルムに向けて、体力維持しておこうと、近場の高草山という山に登った。


その山に登りながら、ジャンダルムのこと病気のことを考えていた。
そもそも私はnoteで「統合失調症者にアウトドアを勧める会会長」を名乗っている。そんな会は実在しないのだが、勝手に名乗っている。「統合失調症とアウトドア」というマガジンを作り、私の登山についての文章を載せてきた。「統合失調症に効果があるからアウトドアをしよう」という趣旨ではなく、「とりあえず、アウトドアをやっていれば病気であろうと、治ろうと良い思い出ができるから」という趣旨で書いていた。しかし、途中から、私の病状も良くなってきたことも相まって、登山を統合失調症に絡めて書くのが面倒くさくなり、マガジンの名前も「私とアウトドア」に変更した。しかし、それでも、いや、だからこそ、統合失調症などの精神病の人に読んで欲しいのである。いかに登山が健康な趣味か、それを私の文章と写真を見ることで体験して欲しいのである。私の偏見だが、精神病の人は内向的で、家の中に閉じこもりやすいと思う。だから、私は外に出ることを勧める。


私は今日、高草山に登っていると、以前は歩きながら、頭の中で誰かと会話していたのが、誰とも会話していない自分がいることに気づいた。足音と風の音を聞いているだけの精神状態。「健康じゃん」と思った。
そんな中、時々出てくる脳内独語でこのような文章の構想を練っていた。
しかし、何も考えない方がものすごく、気持ちいいのだ。
幻聴が聞こえる人が、幻聴が聞こえなくなることは大変な歓びだろう?
私はそれを登山の中で見つけた。
しかし、私は脳内独語を拒否もしなかった。それはたしかに文学的営為であると思っていたからだ。
拒否もしないからこそ、脳内独語を自然に消滅させることもできるような気がした。


そんな私はこの夏、ジャンダルムに挑む。
統合失調症の人は、デイケアにいたり、就労支援施設にいたり、その他の施設にいたり、という福祉的視点で見られることがある。しかし、それは十把一絡げのイメージである。
私も昔、デイケアに通っていた。そこにいれば精神障害者だった。
しかし、今は違う。
ジャンダルムに挑む人間である。
そこは健常者だから登れて、精神障害者だから登れないという次元ではない場所である。
私にはもう寛解とかリハビリとかどうでもいいのである。
ジャンダルムに登る、その意気込みが私をより高い人間にしてくれる気がするのである。

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