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「自分は好きですか?」という質問についての哲学

最近、ある作家が「自分は好きですか?」という質問に「嫌いじゃありませんね」と答えている動画を見た。まあその作家のことはここではどうでもよろしい。
私が考え始めたのは、「自分を好き」とはどういうことか、ということだ。
「好き」という言葉は主体が、客体を好きだと言うことだから、「自分が好き」ということは主体としての自分と客体としての自分とに分かれることになる。つまりここにはふたりの自分がいて、まるで鏡の中に映った自分と、こちら側の自分のような関係が成り立つ。ここでは主体が鏡の中にいて、客体がこちら側にいるとも言える。
「私は自分が好き」と言うのは、自分という客体が好きなのであって、もうそこには主体としての自分はない。しかし、他者が「あなたが好きです」と言うとき、その「あなた」つまり自分は主体としての自分で、その時こそ自分は「愛された」と思うのだと思う。だから、自己愛は決して主体の自分を愛することではなく、客体の自分しか愛さない。しかし、他者に愛されることは、主体の自分を愛されることで、その時、初めて主体は「愛された」と感じることができるのである。
だから、どんなに主体の自分が客体の自分を愛していても、他者から愛されない限り、主体の愛は満たされないと言えると思う。

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