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私の人生の軸は小説なのか、登山なのか(野望と趣味)

私は小説家を目指している四十代男子であるが、趣味の登山にハマっている。
七月三十一日にジャンダルムに登ったので、それ以来自分の中に変化を感じている。
ジャンダルムとは登山者にとって憧れの山であり、命を危険に晒す難コースとして知られている。そこに登って来たことは、自分の中では自慢であり、また、何かのスタートである。
とりあえず、私は来月、ジャンダルム近くの小屋、穂高岳山荘から見た夕陽の中にシルエットとして見ていた笠ヶ岳に行こうと思っている。

笠ヶ岳


あの山行で出会った八十二歳のおじいちゃんのおすすめの山が双六岳で、そこから夕日に映える槍ヶ岳が最高なのだとか。
で双六岳に登る計画を立てたが、双六岳は素晴らしい山なのだが、そこを目標として行くにはもったいない山でもある。そこから北に行った三俣蓮華岳や百名山の鷲羽岳と水晶岳を巡ってくるのがいいような気がした。しかし、そのコースは時間がかかり、小屋の予約を取れなかった私はテント泊にしようと思うので、三俣のテント場にテント泊しようとも思った。
しかし、良く考えてみれば、私が陶然と夕陽を見ていたあのとき、そのシルエットを見続けたのは笠ヶ岳であった。ここは笠ヶ岳に行くべきではないか、と思い、たった今、地図を見てコースタイムなどを計算すると、ちょうどいい時間で鏡平から双六岳、そして、笠ヶ岳と縦走するのが可能であると判断した。鷲羽岳水晶岳は来年にすればよい。
いや、ここまでは山の知識がないとわからない文章であった。
しかし、そんな山についての一般人が知らないことを普通に書くこと自体が、山に洗脳されている、というか取り付かれている証拠である。
私はそもそもは小説家になって歴史に名を残したいのである。
笠ヶ岳に行くのは人生の目標とは全然関係ないのである。
しかし、小説より山を優先する私はなんなのか?
小説は所詮は紙やパソコンに向かって作業して作るものである。
しかし、登山は全身と頭を使って行うものである。ジャンダルムに登ったからと言って歴史に名が残るわけではない。では山に登るとは、どんな価値があるのだろう?
それは本当に自己満足の世界である。
ジャンダルムに一度登ったから自慢が出来る、というようなものではなく、ジャンダルムに登った以上に凄いことをしているプロの登山家はゴロゴロいるのである。やはり、世界でトップになるには私の場合小説を書くことが重要だろうと思う。しかし、私は登山で世界のトップに立ちたいとか、全く思わないのである。純粋な趣味なのだ。
マラソンで喩えれば、オリンピックで金メダルを目指すような選手ではなく、市民ランナーとして走る楽しみを満喫したい、そういう趣味人である。
私は以前、『芸術を「趣味と割り切っている」と言う人は芸術家ではない』という記事を書いたことがある。これに寄れば私は登山家ではなく、趣味の登山者である。しかし、小説に関しては芸術家である。シェイクスピアやセルバンテスにも負けないと思っている。自分を歴史上の人物だと思っているキチガイである。しかし、本当にただのキチガイだろうか?
人気マンガ『ワンピース』の主人公ルフィは「海賊王に俺はなる」とでっかい野望を持って仲間たちと冒険するから人気があるのだろう。あのマンガを読んでいる大人たちはどれだけこの現実世界で自分が世界一になれると思っているだろうか?ある分野で世界一になろうという野望は、少年たちとかつて少年だった者たちには誰だって少しはあるはずだ。
そして、誰にでも趣味はあると思う。
例えば釣りを趣味としている人もいるだろう。彼はでっかい獲物を釣り上げたいと思うだろう。しかし、それは世界一になりたいとかいう野望とは違うものだ。
私にとって登山がそれで、別に日本一世界一の登山家になりたいとは思わない。
しかし、世の中には、世界一の登山家になりたいという人を自分の趣味的尺度で捕らえて、「つまらないことにこだわる野心家だ」と否定的に見る人がいると思う。
私が「世界一有名な小説家になって、世界史に名を残すぞ」と言っても、「あいつヤバいよな」と思う人もいるかもしれない。しかし、そんな人が『ワンピース』を読んでいたらどうだろう?自分の中にも少しくらいは世界一になりたいと思う気持ちはあるに違いない。
私の趣味は登山だから、命がかかるものだから、真剣にならねばならないが、野望はない。
小説を趣味で書いています、と言う人はいるだろうが、そういう人も、出来れば多くの人に読んでもらいたいと思うものだ。そして、文学新人賞に応募したりする。そのくせ、趣味ですから、と落選したときの予防線を張っている。新人賞に応募する心のどこかに「もしかしたら」などという野心は少しでもないだろうか?
足るを知る、趣味である、歴史に名を残そうなどと、野心はありません。
本当にそうだろうか?
『ワンピース』のルフィの仲間のゾロは世界一の剣豪になりたいはずだ。読者はそういう生き様に心を踊らされるのだろう。だから、あのマンガは人気があるのだと思う。しかし、あのマンガを読んでいる成人男性のどれだけが世界一になりたいという思いをくすぶらせているだろうか。
登山にも向上心があって、ジャンダルムを制覇した私は、まだ雪山に登る技術がないから誰かに教わりたいと思うし、テント泊ももっと挑戦したい。その最果てには世界の名だたる山を登頂したいという思いがあるかもしれない。しかし、私はそこは趣味と割り切っている。
小説があるから、そういう趣味も持てる。
小説では世界一になりたいという明確な意志がある。
少年の夢はいつまでも忘れないでいたい。


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