私が小説家になったら海外旅行をしまくりたい理由
私は以前、ある小説を書いて、内容は無国籍のつもりで、そこに寺が登場し、そこに神が祀られていると書いたら、それを読んだ父が、「これは寺なのか神社なのか?」と訊いてきた。
私はインドなどに旅行したことがあり、そこで寺というと、ビシュヌ神やシバ神などが祀られている場所であるためそのイメージで寺と書いたのだが、日本しか知らない父には、仏を祀るのは寺、神を祀るのは神社という固定観念があったらしい。
世界的に見れば、寺というと、キリスト教の大聖堂も寺院と言うし、イスラム教のモスクも寺院である。神社と区別するのは日本だけであると思う。
城もそうだ。
小説で「城」とただ書いたとき、日本の城を想像するか、西洋の城を想像するか、イスラム圏の城を想像するか、インドの城を想像するかなど、読者の文化圏によって違う。日本の時代小説を書いているならば、「城」と言えば、二の丸、本丸、天守閣のある日本の城だろう。
しかし、無国籍のファンタジーを書くならば、どのような城かきちんと描写しなければならいだろう。
私は以前書いた小説に、壁のない城を登場させた。無自覚に書いたが、それはインドなどの城やイスラム圏の宮殿などの影響かもしれない。
私はイスラム圏というと、インドとウズベキスタンくらいしか行ったことがないのだが、それでも無意識に刻まれたその記憶は、小説を書く段になって生きてくるようである。
だから、海外旅行をたくさんして世界中の文化を吸収することは小説家としての幅を広げることになると思う。それ故に私は海外旅行をたくさんしたいのである。