見出し画像

統合失調症、私の主治医

私は十六歳で統合失調症を患いました。
五年間は自力でその苦しみから抜け出そうと努力しました。
しかし、大学三年生、就職を考えねばならない時期に来ると、もう自力では無理だ、医学にすがろうと、他力を信じることにしました。
親に精神科に連れて行ってもらいました。
医者が脳を手術すると言うならば従うつもりの覚悟で行きました。
これから会う医師は私の運命の医師だ、そう思っていました。それが他力というものです。
医師は薬を処方しただけでした。薬を長い期間飲み続ければ良くなるとのことでした。私は信じました。他力です。よく、医師を途中で替える患者がいるけど、私は絶対に替えないぞ、と決めました。運命の出会いですし、それを信じ続けるのが他力だと思いました。
ですから私は精神科医というものを他に知りません。
ネットで調べると、私の主治医の口コミは良いものではありません。一分診察だとか、話が長くなると高圧的になるとか書かれています。しかし、わざわざネットに口コミをする人は、どれだけ医師を比較するのでしょうか?どれだけ医師を替えたことがあるのでしょうか?どれだけ自分の精神の療養、心のリハビリの信念を変えたことがあるのでしょうか?そもそも精神疾患に対する信念がないのでしょうか?
私はこの主治医に会って、デイケアに通い、少しずつ良くなるように心のリハビリをしていこうと誓いました。他力を信じようと誓いました。信じることは自力です。自分と自分の選んだ運命を信じなければいったい何を信じるのでしょうか?
私は心のリハビリの中のデイケアからの次のステップとして、二十五歳からパートで厳しい肉体労働をしました。汗水たらしながら将来の光を信じて働きました。そのときも主治医のもとに毎月一回通い、薬を処方してもらい飲み続けました。人生そのものが心のリハビリでした。
この人生を疑ったことは一度もありません。
仕事を変え、現在は介護の仕事をしています。もうすぐ十年目になります。正直早起きは辛いです。もっと布団の中でぬくぬくしていたい、と毎日思います。しかし、それでは初診を受けたときの誓いを破ることになります。信じた道を放棄することになります。ですから、私は自分に鞭打ち働くのです。
現在も主治医のもとには毎月一回通っています。ネットの口コミにあるように一分診察です。しかし、私はそれを悪く思ったことはありません。むしろ長々と話をしたいとも思いません。薬を処方してもらうために通っています。
ノーマライゼーションという言葉があります。私は精神障害者として生きていません。小説家を目指している介護職員として生きています。ですから、医師の診察に時間をかけるのは病気を強く意識してしまうと思うので近況報告だけして、処方箋をもらったらすぐに帰ります。薬を飲むことも日常の中に当たり前にあるのでノーマルです。病気を抱えていても障害があってもノーマルな生活はあると思います。
二十二年間、主治医を替えずに信じ続けて来た私の現在は、かなりノーマルです。
今の主治医が引退したら、別の医師が主治医となるのでしょうが、そのときは、今飲んでいる薬を変えないように頼むつもりです。それが、「継続は力なり」という私の心のリハビリの信念です。

「他力を信じ続けるという初志貫徹の自力」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?