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少年よ、『鬼滅の刃』の「時透無一郎」のようにはなるな。

私は以前、上に貼り付けた文章を書いた。
『エヴァンゲリオン』の「綾波レイ」や『るろうに剣心』の「瀬田宗次郎」のようになるな、と言う内容だ。感情のない強い人になりたいと、十代くらいには思うものだと思う。
私は四十代だから、「綾波レイ」や「瀬田宗次郎」が世代だが、最近アニメを見ていて、『鬼滅の刃』の「時透無一郎」が現在進行形の無表情無感動の強くて美しい若者のアイコンかも知れないと思った。
もし、「時透無一郎」のようになりたいと、感情を殺して生きようとしている若い人がいたら、それは絶対にやめておけと言いたい。
なぜなら、感情のないのは、精神病だからだ。
これ以上は上記の記事の繰り返しになるから、上記の記事を読んで欲しい。
私は『鬼滅の刃』の結末を知らない。ただ、アニメを追いかけているだけでマンガは読んでいない。もしかしたら、「時透無一郎」が感情を爆発させるような話になるかも知れないが、現在、「柱稽古編」まででは「時透無一郎」は私の知っている、「綾波レイ」や「瀬田宗次郎」と同じポジションにいる。
ひとつ若い人に教えておくが、マンガのキャラとはすべて作者の中にある様々な人格であり、どれひとつとっても作者の人格ではない。マンガ作品のキャラたちを全部まとめたのが作者の人格だと思うといい。「竈炭次郎」も「鬼舞辻無惨」も同じ作者の中にあるキャラであり、全てのキャラをまとめたものが作者の人格である。したがって、アニメやマンガのあるキャラの真似をして、そのキャラのような人になれたらいいな、と思うのは、作者の中に数多いるキャラのうちのたったひとつのキャラを真似ることになり、人間として幅の狭い大人になると思う。ちなみに私は中学生の頃から、『天空の城ラピュタ』の主人公「パズー」を真似していた。「ムスカ」も「ドーラ」も私の中にいるはずなのに、「パズー」を模範として生きていた時代が長かった。
生き方に迷ったら、安易にアニメのキャラを真似るのではなく、傑作とされる文学作品などを読むといいと思う。あるいは様々な芸術に触れるといいと思う。これはお説教と思う人もいるかと思うが、地球は丸いと知って生きるのと、知らないで生きるのくらいに、文学や芸術を知っているのと知らないのでは違いがあると思う。
ただ、文学や芸術に触れるときも、あなたはすでに生きているわけだから、さしあたってのキャラが必要だと思う。それはたぶん、あなたの周りにどんな友達がいるかで決まると思う。友達が邪魔と思うこともあるかもしれないが、いじめでも受けない限りは安易に縁を切るのではなく、人として付合いながら、文学や芸術に触れて自分を広げるといいと思う。そうすると自ずと、自分の周りに集まる人が変わってくると思う。
だいたい、自分のキャラというものは自分ではわからないもので、「鬼舞辻無惨」も自分だし、「竈炭次郎」も自分である。そういう善も悪も含めた総体が自分という人格であると思う。
文学を読むとはその総体を広げることだ。
人を善と悪に分けて自分を善として、悪をやっつけようという思想は、あまりに危険すぎる単純な思想であると思う。
「そんなことはわかっている、『鬼滅の刃』は娯楽じゃないか」、そういう声もありそうだが、私の経験上、十代でアニメに人生を支配される人は少なからずいるので、こうして文章にしてみた。

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