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「私は会社員です」って言う人、何者?

職業を訊かれて、「私は会社員です」って言う人の自意識がわからない。
私の場合、「介護士です」と言うことが出来るが、何者かと訊かれた場合、私は「小説家を目指しているのですが、現在は生活のために介護士をしています」と答えると思う。
「あなたは何者ですか?」
「会社員です」
これって答えになっているだろうか?
これって、老人ホームに勤めている私が言うならば、「法人職員です」と言うのと同じだろう。もう少し詳しく、「社会福祉法人職員です」と言ったところで、その仕事内容は伝わらない。
「会社員です」というのは単に自分の属している法人が会社であることと、そこに雇用されている職員であるという雇用形態を言っているに過ぎない。これならば、例えば、工務店に勤めている大工が、「大工です」と言わずに「会社員です」と言うのと同じだろう。
会社員であるというアイデンティティは要するに「普通の人です」と言っているようなものだ。会社でも何をしている会社なのか、どの部署で働いているのか、それによってまったく違うのに、「会社員です」と名乗ってしまうことは自分を何も紹介していないのと同じだと思う。
私も母に「普通になって欲しかった」と言われる。
私は大学を卒業後、肉体労働の仕事をしながら、小説家を目指していた。今も目指している。
私は三十歳を過ぎた頃、小説家を目指すには安定した職業に就いた方がいいのではと思い、公務員はどうかと調べてみた。たしか、年齢制限があり、二十七歳までが受験資格だったと思う。そして、公務員にも地方公務員と国家公務員とあり、私はどうせならば国家公務員が面白いだろうと思って、調べたら国家公務員には一種から三種まであり、一種が一番レベルが高く、いわゆるキャリア官僚というものだと知った。その受験の過去問を見ると難しく、哲学科を出ている私でも、その哲学に関する設問にギリギリ答えられるくらいの専門的なレベルだった。そのレベルで、広範囲のジャンルの問いに答えねばならないのである。私は「自分には一種は無理だな」と思った。で、二種の過去問を見ると、がんばればなんとか受かりそうな気がした。しかし、私は一番でなければいけないというプライドが高く、二種は嫌だった。公務員になってみてもいいかなと思った理由は安定した生活を送り小説に力を注ぐためであったので、「国家公務員になるなら三種かな」と母に言ったら、「あんたは二種じゃなきゃダメよ」と言われた。私はそれでわかった。母が「普通になって欲しかった」という言葉の意味が。母は広島大学を出ていて教師になり、同じ教師の父とお見合いで結婚した。母は頭が良いと私は思う。しかし、「普通でありたい」というのが母の信条らしく、私を産んで専業主婦になったが、私を「普通にするために」育てた。勉強には厳しかった。小学生の頃の親友から見ると、私の母は相当な教育ママだったようだ。その親友というのは普通の男の子で、私は彼や他の友達と普通に遊んだ。その普通とは、同じようなマンガを読み、同じように外で遊んだり家の中で遊んだりした。私は普通の少年だった。
しかし、中学生になると、母はより勉強に厳しくなった。中学生になるとテストの成績で順位が出ることを強く言われた。最初の中間テストで二百人以上いる学年で私は半分より上には行きたいと思い、全力で臨んだ。そうしたら、学年で四位だった。私は正直驚いた。いや、小学生の頃はたしかに勉強は出来なくはなかったが、なにしろバカなことばかりやっていたので授業態度も評価される小学校ではけっして優等生ではなかった。バカなのか天才なのかわからない、そう言われていた。それが学年で四位!私は成績を隠すような人間ではなく、成績が悪かろうが良かろうがオープンにしていたので、私が四位だった結果が学年中に広がり、周囲の見る眼が変わったように感じた。それは快楽だった。しかし、私の意識は普通の少年だった。
高校はその地域では最も優秀な子が行く学校に進んだ。しかし、私には違和感があり、「俺はエリートじゃない」と思っていた。先に挙げた親友は別の普通の高校に進んだ。私の社会の中の帰属意識はそちらにあった。社会階級というのか、よくわからないが、とにかく私はエリートであるという意識は全くなかった。大学など、東大、早稲田、慶応、それと地元の大学くらいしか知らない無知だったのである。高校に行くと、いきなり担任が大学の受験勉強の話をし始めた。私は中学時代の息の詰まるような勉強が嫌だったので、この担任の言葉にはようやく水面に出て空気を吸おうと口を開けたところに水をかけられた気分になった。人生で自由になれる時間は大学時代しかないのか?私は大学に行くとしたら早稲田みたいな普通の大学かな、と思っていたら、早稲田はメチャメチャエリートの大学であると知った。しかし、行けないような手応えはなかった。え?俺はエリートなのか?普通じゃないのか?私は自分の帰属意識で悩んだ。たまたまマンガ家を目指していたのでそのためには勉強が必要だろうと思い勉強はした。しかし、得意の数学がマンガの役に立つかわからず、二年生から文系クラスに進んだ。私はその頃、宮崎駿みたいになりたいと思っていた。絵も独学で研究した。しかし、私には宮崎駿のような才能はなかった。勉強が出来ても、絵の上手さには才能というものがどうしても必要だった。色々端折るが、私は高校二年生で精神病を発症した。私は高校卒業まで勉強をまったくしなかった。それで大学を受験した。マンガ家になるために上京したかったので、東京の大学ばかりを受けた。全部不合格だった。
私は予備校に電車で通うことになった。その駅で、先に挙げた親友が彼女と手を繋いでしゃがみ込んでいるのを見つけた。私は気づかないフリをした。私には女と付き合うという経験がまったくなかった。彼にあとで聞いたら彼は専門学校に彼女と通っていたそうだ。私にはそれこそが素晴らしい普通の青春であるような気がした。しかし、もう私は病んでいた。大学受験にかじりつき、なるべく良い大学に行くことしか頭になかった。大学に行けなければ死んでしまう、そんな気がした。大学に行くのが「普通」だった。私は悪夢の予備校時代を乗り越え、國學院大學に進学した。私としてはこの大學の偏差値など、たいしたことはなく、やはり早稲田に行く人生の方が普通であるような気がした。早稲田の教育学部に進学し、両親と同じように教師になる、それが普通の人生のような気がした。しかし病んだ私には早稲田は偏差値が高かった。このように大学受験を経た者は偏差値という数値に踊らされることが多い。プライドの高い者ほどそうだ。國學院大學の哲学科に進んだ病んだ私は、プライドを保つために哲学や文学の本を読みまくるようになった。しかし、病気のためろくに本の内容を理解できなかった。ただ、世界の名著の雰囲気を頭に叩き込むために、自分を世界の名著で洗脳するように読んだ。以来、私は世界の名著の中で生きているような気がする。私は大学三年生になるとようやく、精神科を受診した。大学を休学し、一年半療養した。そして、四年生として復学した。ソーシャルワーカーから「大学は出ておいたほうがいい」とアドバイスを受けたので、大学を卒業することにした。私の人生観は、大学を卒業するとかしないとかは大きな価値ではなく、歴史に名の残るような大きなことを成し遂げることに価値があるというものだった。私は大学卒業後くらいから小説を書き始めた。マンガの才能がないことに気づいた私は将来の夢を小説家に切り替えたのだ。
良い小説家とは何か?
良い大学を出ている者のことか?
違う、良い小説を書いた者のことだ。
私は小説を志しても目指しているのは宮崎駿だった。彼は学習院大学を出ている。私はここも受験したが落ちている。しかし、私の方が宮崎駿より頭が悪いとは全く思っていない。学習院と言えば、昔はお金持ちの子供が通う学校で、今で言うと高校だった。小説家の三島由紀夫は学習院を出て東大に進んだ。そして、大蔵省に入省した。つまり国家一種キャリア官僚だ。三島由紀夫はその本を読むと、あきらかに私よりも頭がいい人だとわかる。しかし、この人が絵を描いたらどうか?アニメを作る才能はあったか?そう考えると宮崎駿の能力は特殊な評価が出来る。三島由紀夫は頭がいいが、私は彼のような作品は書きたくない。宮崎駿の『天空の城ラピュタ』よりも面白い小説を書きたいのである。
三島由紀夫は小説に専念するために国家公務員を辞めている。彼にとっても公務員の人生よりは小説家の人生の方が面白いと思ったのだろう。
私は頭がいい国家公務員にはなりたくないのである。普通の会社員など論外だ。
私のなりたいのは、宮崎駿であり、三島由紀夫であり、ジョンレノンであり、ピカソであり、スピルバーグであり、その他歴史に名を刻む芸術家たちの仲間に入りたいのである。
あなたは何者ですか?とジョンレノンが訊かれたらなんと答えるだろう。
「ああ、僕はジョンレノンだよ」
それだけで通じるのではないだろうか。
「私は会社員です」
そう自己紹介する人は、何者なのだろう?

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