精神病の社会福祉士が災害ボランティアを考える
今日は地震が起きた。
私は社会福祉士の資格を持っているが、その資格を仕事に活かせていない。
一応福祉の仕事をしているが、老人の介護である。介護福祉士という別の資格で仕事をしている。
そんな私が、今日、地震のニュースを見ていて、社会福祉士としての使命がメラメラと燃えてきた。
そうだ、困っている人を助けるのが福祉だ。俺は社会福祉士だ。あ、でも、俺、精神障害者だ・・・、ダメじゃん。
そうだ、いつも、何かしようとすると、思考はそこに行く。
災害ボランティアは、社会福祉協議会が運営しているから、もし、これを読んでいるあなたが、どこかの災害時に、ボランティアをしたい、と思ったら、個人で現地に行くのではなく、お住まいの地域の社会福祉協議会を訪ねるとよい。そうすると、現地へのバスの手配などしてくれて、組織だってボランティアに当たるので、個人で行くよりもずっと役に立つ。そうでないと、とりあえず現地に行ってみて、何をしたらよいかわからず、とりあえずお腹がすいてきた、何か食べたい、しかし、どこの店も営業してない、困った、あ、あそこで炊き出しが、あそこに並ぼう・・・ということになりかねない。被災地でボランティアをしたいと言うならば、宿や食事など自分の生活のことをまず考えるべきだ。そうしないと、被災地のために駆けつけたのが、被災地の迷惑になりかねない。
私も、薬を飲まないと眠れないので、安眠出来る場所の確保や、薬を切らさないことが重要になる。もし、地震の被災地に行って余震のために夜中に起きなければならない場合、薬を飲んでいる私はアウトかもしれない。そう思うとボランティアに行けなくなる。
そこでこうやっていつものように文章を書いているが、これが一番私の福祉活動になっているのではないかと勝手に思っている。
今回は、精神病、特に統合失調症の人が地震で被災した場合のことを自身の周辺を考えることで書いてみたい。
まず、先に述べたように、統合失調症の人は寝る前に薬を飲んでいることが多い。もし、被災したら、主治医に受診できない状況になったり、お薬手帳をなくしたり、とりあえず、今夜飲む薬がないということが生じると思う。統合失調症は急性期では私の経験上、毎日常に死ぬか生きるかの状態にある。私はあの頃、もう二十五年前だが、「自殺禁止」を自分に言い聞かせていた。そのくらい辛いのだ。だから、地震などで被災し、家を失い、家族を失い、とりあえず今夜飲む薬がないという状況に置かれた人がどれだけパニックになっているかは想像に難くない。そこにどうやって、薬を届けるかが医療福祉の役割だと思う。まあ、そこは私が考えるまでもなく、すでに誰かがやっているだろうから、私に出来ることは、私自身が精神を病んでいて、かなり重症のときがあったことから、精神障害者、特に統合失調症の人が被災した場合の主観的思考回路をどうするかを考えてみたい。
まず、被災した場合はとにかく生きることが大事だから、安全な場所に避難することは言うまでもない。
そして、避難所にしばらく生活することになった場合、必ずストレスを感じる。精神病でただでさえ、生きるか死ぬかをやっていたときに、健常者でも大きなストレスを感じる生活は本当に地獄だろう。その地獄を少しでもマシにするには、私が思うのは、自分のルーティーンを作ることだと思う。これは平時の精神病者にも言えることだが、毎日同じことを繰り返すことが、精神病を軽くしていく近道である。だから、デイケアなどに通うことが重要であるのだ。あれはあの場所でリハビリ療法みたいなものを受けることに意味があるのではなくて、生活にルーティーンを作るところに意味があるのだ。それと自宅以外の居場所を作ることにも意味がある。私はそう考えていて、だから、開業医とか自営業の店などで働いている人の生活が上手く理解できない。自宅で働くって辛いよな。だから、主婦はお稽古事などに出かけるのだろう。話は逸れたが、統合失調症を患っていて被災したら、とにかくルーティーンを作ることが大切だということだ。非日常をなるべく日常に近づけること、これは、統合失調症というある意味平時でも日常を失った病気には極めて重要なことだ。住む場所は体育館でもテントでもいいから、ルーティーンを作ることだろう。無意味なことでも繰り返すことが大事だ。散歩などは一番いいルーティーンだ。ウォーキングなどと言って健康のために、などと目的を作ってはいけない。無意味な散歩が一番いい。無意味なことの繰り返しが、生活を作っていくのである。暇人であればあるほど、哲学や文学を考えて病むのである。貧乏で暇がない人は、懸命に生活するので、病んでいる余裕がない。暇人が人生を難しく考えて、病むのだと思う。だから、統合失調症発症率は、親の庇護の元にある若い時が多いのだろう。繰り返すことが大事だ。そこに意味がなくとも、繰り返すことに意味がある。被災したら、その繰り返しから周囲が復興して行くにつれて自分も復興する気になっていれば良いと思う。地獄以下に落ちる所はない。上に上がるしかないのだ。
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