死を忘れる方法
私は十代の頃から、死を意識して生きて来た。
正確には中学二年生くらいから将来の夢について真剣に考え、理想の死に方、死ぬ場所などを考えた。
最初は野球をやっていたので、高校野球に強い憧れがあり、甲子園の土の上で死ねたら最高だろうな、などと考えた。
高校最後の夏の甲子園大会、決勝、九回裏ツーアウト満塁、三点差を追いかける状況、バッター俺、カウント、ツーストライク、スリーボール、ピッチャー投げました、カキン、打った、打球は伸びていく伸びていく、センターバック、ああ、入った、ホームラン、逆転サヨナラ、俺はゆっくりとダイヤモンドを回ってくる、ホームベースの周りには笑顔の仲間たち、俺は実は心臓病で、医者からはこの試合に出ることを止められていた、でも、どうしても出たかった、なぜなら、俺はこのときのために生きて来たから、俺はホームベースに近づくと、フラフラとよろけて、ホームベースの上にバタリと倒れた、ああ、意識が遠のいていく、仲間たちが心配して声をかけてくれる、もう俺は死ぬ、だが、幸せだ、生きて来てよかった。
こんな人生の最後を考えていた。中学一年生の頃だ。本気で高校野球が人生のピークだと思っていた。甲子園に出たら、砂を持ち帰ろう、その砂は紫の巾着袋に入れて、床の間に置こう、俺は一生それを眺めて生きるんだ、マジでそんなふうに考えていた。しかし、現実には人生は高校卒業後も続くぞ、甲子園が人生の目標でいいのか?そう考えた私はプロ野球選手になることを目標にしようと思った。どうせならば、世界一の選手になろう。当時はまだ日本人のメジャーリーガーはいなかったので(いや、野茂英雄があのときにいたか?記憶がない)、世界一の選手は、私が現役時代を知らない偉人、王貞治だった。世界一たくさんホームランを打った選手、私は王を超えようと思った。一年間のホームラン数ではなく、現役通算のホームラン数だ。868本。そして、俺は殿堂入りする、などと考えた。殿堂入りすれば、それがどうなのだ、と考えることはなかった。しかし、そう考えるようになってから、人生が一本の時間軸の上にあるような気がして、常に死へのカウントダウンが始まっているように思うようになった。だから、どうしても、殿堂入りしたかった。歴史に名を残したかった。中学三年生の夏に野球部の活動が終わると、私はマンガ家を目指すようになった。これも世界一を目指していて、手塚治虫やディズニーを超えようと思った。マンガやアニメの世界で有名になり殿堂入りしたかったのだ。
私は、このような思考を、四十五歳の現在までずーーーっとしている。二十代からは小説で世界の歴史に名を残そうと考えてきた。それは結局は死の恐怖を忘れるためだったのだろう。しかし、そのような将来の夢を持ったがゆえに、一直線の時間軸を生きるハメになったとも言える。
小学生の頃は、毎日をどう楽しく過ごすかに夢中で、死のことなど考えなかった。私は明るい少年だった。友達もたくさんいたし、たくさんの素晴らしい思い出を持っていた。
それが中学二年生の頃から、死に方ばかりを考えるようになり、暗い人間になったようだ。
その暗さは先に述べたように、死へと向かう一本の時間軸にいることを常に意識していたからに違いない。
私は現在、死を忘れるために小説があると考えるようになった。小説家として歴史に名を残すという野心はまだあるが、それだけではなく、本気で長編を書き終えたときの恍惚感、宇宙になかった物を生み出したという恍惚感の中に死を忘れる術を見いだした。
しかし、それはつかの間の恍惚感であり、時間はまた死へ向かって動き始めるのである。
私はそうなると、また次の作品に向かうのである。
いずれにしろ、幸福とは死を忘れるところにあるのではないかと思う。
一番いいのは、私が小学生の頃のように多くの友達と楽しく毎日を過ごして、それが一生続けばいいのだ。死ぬときに、「あー、楽しかった」と満足して死ねればそれでいいのである。
しかし、中学生以降の私はそれでは満足できない生き方をしてきた。
夢を叶えるという生き方をしてきた。
夢こそが死を忘れるためにある。
どのような夢であれ、それは死を忘れるためにある。
死を見つめる文学でさえそのためにある。
死を忘れた時間が、私たちの幸福な時間なのだ。
それはたぶん、どんな生き方をした人にも同じことが言えると思う。
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