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統合失調症者にアウトドアを勧めることとバリアフリーについて

私は前回の記事『統合失調症の私、1550Mの山に登る』の中で、「遊びはめんどくさいことを計画するのが楽しいのかもしれない。旅行の計画もめんどくさいと言えばめんどくさい。しかし、それをやらなければ、一生、旅行もアウトドアもできないまま、なんとなく過ぎてしまう。それは生きているかどうかもあやしい」と書いた。この最後の「生きているかどうかもあやしい」という言葉について、失言だったのではないかと反省している。世の中には重度の障害のため寝たきりの人生を生きる人もいるのだ。私はそういう人のことを考慮していなかった。カントの倫理学のように、すべての人に普遍妥当するような言説でなければいけないと私はいつも思っていた。・・・いや、本当にそうだろうか?「家に引きこもっていないで登山に行こう」と言ってはいけないのだろうか?そもそも登山とはメチャメチャバリアがある。車いすの方でも「ふつうに」登山ができるように登山道の横にスロープなどをつけてバリアフリーにすべきだろうか?それは何か間違っていると思う。登山とはバリアがあるからおもしろいのだ。私が今年の夏に行こうとしている北アルプスの山には岩場、クサリ場、ハシゴ、雪渓などがある。私はそういった画像をインターネットで見てとてもワクワクしている。バリアを越えていくのがおもしろいのだ。車いすユーザーにクサリ場は無理だ。人間はできる範囲で最大限人生を楽しむべきだと思う。私だって、アウトドアを勧める人間でありながら、登山はできるものの、ロッククライミングなどは怖くてできない。やりたいとも思わない。私がアウトドアを勧める統合失調症者は五体満足で精神だけが病んでいる人を想定している。せっかくの身体と自由が、引きこもっていてはもったいないですよ、と言いたいのだ。
 
ついでに車いすユーザーについて少し書きたいと思う。
私が自動車で出勤する朝早くに、途中の商店街や、住宅街などで車いすに乗ったひとりのおじいさんを見かける。野球帽をかぶりウインドブレーカーみたいな原色の服をいつも着ている印象があるのだが、その人は、ある日住宅街で見かけたと思ったら、別の日には1㎞以上離れた市役所の近くで見かけることもある。「このじいさん、活動範囲メッチャ広い」と私は驚かされている。私が車いすユーザーになったら、こんなに朝早くから車いすをこいで、動き回れるだろうか、と思ってしまう。何か理由をつけて引きこもることは簡単だ。外へ一歩踏み出すことはどれだけ勇気や気合がいるだろう。家から出られる環境にあるならば、絶対に出るべきだ。私は統合失調症者がその一歩を踏み出す勇気を後押ししたい。

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