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統合失調症の私、自宅庭ソロキャンプで初めてウィンナーを炒める

私は今、自宅庭に張ったテントで独りスマホをいじっている。もう日は暮れている。本当はどこかのキャンプ場でソロキャンプをしたかった。しかし、天気予報が芳しくないため、中止することにした。今日と明日は二連休で明日の十時半に美容院の予約を取った。しかし、昨夜の天気予報では、どうもキャンプに行けそうな感じだった。私は美容院をキャンセルするつもりで、キャンプ場を調べてみた。予約が必要らしいことを知った。近場のキャンプ場などは、月曜休みで日曜月曜のテント泊はできない感じだった。そこで思いついたのは、近くの低山に登って、降りて来たら自宅庭でテント泊すれば良いという案だ。これなら美容院にも行ける。

そこで今日はいつも行く低山にテントを担いで登った。テントをザックに入れたのはもちろん実際にテント泊登山に行くときの訓練のためだ。そいつを背負って歩き始めたとき、「こいつはハードだ」と思った。五月にも一度登っているが、今日は六月の雨上がり、湿度がすごかった。

私の登山は十五分歩いて一分休憩というやり方なのだが、こういうキツイときこそ、そのやり方が功を奏す。一時間とか三十分歩き続けるのは精神が持たない。この山を私は昔、四十分で登っていた。前回、テントを背負って初めて登ったときは一時間かかったと思う。今日は「もう引き返そうか」と何度も思ったが、そんなことをしたら、夜、テントの中で書く予定のnoteが書けなくなる。諦めたことなど恥ずかしくて書けない。標高五百メートルの山だ。諦めたくなかった。

私は明らかに、noteをやるようになって変わった。山を登りながら読者を意識するようになった。しかも、「統合失調症者にアウトドアを勧める会会長」などと勝手に名乗ったりしてみた。私は人に勧めるほどアウトドアに精通しているわけではない。ただ、統合失調症を患っている身として、アウトドアが統合失調症を患っていても人生を豊かにするものだと考えるようになったため、他の統合失調症者にも勧めたいと思ったのだ。これは私がこのnoteを始めた理由である「心のリハビリを考える」ことを広めることから一歩踏み込んで、「心のリハビリ」としてではなく、効能云々に関わりなく、アウトドアを統合失調症のある人生に取り入れてみたらどうだろうかという、生き方の提案となった。もちろん、急性期には、アウトドアなどという余裕はないかもしれない。「それをやると精神病が治るのか?」と心のリハビリ的なものを求めるかもしれない。統合失調症が治るという希望は捨てるべきではないと思う。しかし、治すことばかりにこだわって人生の質を落とすことは避けるべきだと思う。

そう言えば今日、なんとか一時間十分かけて登り切った山頂で出会った家族を見て、独身の我が身を顧みて、「統合失調症でも結婚して子供がいれば素晴らしいだろうな」と思った。その家族は夫婦と男の子二人だった。お父さんは優しいけど、疲れた感じの人で、お母さんは、子供が大きな声を出すと、「静かにしなさい」と小声で言う、私から見れば子供は山に登って楽しんでいるのだから大きな声ぐらい出してもいいじゃないか、私も迷惑してはいない、と思わせるほど、周囲というか世間を気にする感じの女性だった。つまり完璧な家族ではない印象だった。でも、私はその四人を見て心温まる思いがした。完璧でなくとも家族がいるというだけで素晴らしい。そして、家族で山登りなど私から見たら夢のようだ。

私は友達さえほとんどいない。本当は一緒に登山する仲間が欲しい。小学生の頃、それは私の黄金時代なのだが、一緒に野山を駆け回る友達がたくさんいた。その頃、私は私らしかった。つまり幸福だった。今でもあの頃のことが人生の羅針盤になっている。私の自己実現は友達何人かとともに登山して山頂で笑い合える、そんな人生にあるのではないかと、最近思った。

しかし、私は小説家を目指している。小説家になることが自己実現だと思っていた。でも本当は違うようだ。では、小説家を諦めればいいかというとそうでもない気がする。幸せのみにこだわる人生はまた貧しい人生だと思う。なぜなら、私は生まれたとき、幸せだった。成長するごとに悪を覚えた。中学生の頃、悪のある現実が嫌になり、夢に生きるようになった。そして、現実逃避の末、高校生で統合失調症になった。現実逃避の世界を作る職業に将来就きたかった。四十三歳の今、私は小説家を目指している。善も悪も含めた総合的な小説だ。それを書くことが私の現実となっている。創作は現実逃避ではない。現在の職業は介護士だが、登山好きの介護士で終わるつもりはない(登山好きの介護士を侮辱しているわけではない)。しかし、小説家になれるなれないは別として、登山は、アウトドアは私を良い方向に向かわせてくれていると思う。今日は、二回目の自宅庭ソロキャンプで、人生で初めて一人で屋外で炒め物をした(ただウィンナーを炒めただけだ)。小説家になれなくても、このような小さいながらも人生で初めての体験を積んでいけば豊かな人生になると思う。それは統合失調症が治らなくてもという意味を含む。だから、私は統合失調症者にアウトドアを勧める。アウトドアはたぶん人間の中の原始からある重要な何かを呼び起こしてくれるものがあると思う。読書や芸術に触れることも人生を豊かにしてくれるに違いないが、アウトドアが一番、人間の心身を豊かにしてくれると思う。インドアな職業である小説家を目指している私が言うのだから間違いない。
だから言いたい。
「みんな、外へ出ろ!」


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