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統合失調症の俺が小説を書く理由のひとつ

昨日書いた記事で、シュールレアリスムのブルトンの自由筆記みたいなやり方で、文章を思うがままに書くことは統合失調症に効くと書いた。
俺は二十代から、現在の四十代まで小説を書き続けている。その理由には色々ある。
有名になりたい、金持ちになりたい、自分独自の世界を表現したい、誰かを喜ばせたい、そんなことがまず浮かぶ。
しかし、昨日書いた記事を反芻してみると、もしかしたら統合失調症を治すために書いているのかもしれないと、ふと思った。
フィクションの中で登場人物に自由に行動させ、本音を言わせることは、書いている自分にとっても、「あ、俺、こんなことを思っていたのか」と発見がある。現在、「小説家になろう」というサイトで小説を連載しているのだが、それはアドリブで書いている。そのため書きながら自分はストーリーをどこへ向かわせようとしているのか自分でわからない。
そういえば、俺は子供の頃、ゴム人形でひとり遊びをするのが好きだった。当時は友達が多くいたが、ひとりこっそりゴム人形で自分の世界に入り込むのが好きだった。毎日やっていた。それを中一くらいまでやっていて、自分がこんな幼稚な遊びをやっていることは、大人になるに当たって恥ずかしいことだと思うようになり、ゴム人形遊びをやめてしまった。しかし、今思えばその辺りから精神が不安定になっていったと思う。ゴム人形遊びでは、まあ男しか出て来なく、敵と味方に分かれて戦うというストーリーなのだが、仲間の友情のために本音を叫んでいた。「○○、死ぬなー。おまえが死んだら、俺は生きてる意味がねえ、だから死なせはしない」などと言う言葉を近所に聞こえるくらい叫んでいたと思う。それをやめたら、精神が不安定になった。マンガを描いていたが、マンガではストーリーの展開するスピードが遅く夢中になれなかった。そして、ゴム人形遊びをやめてから三年後に統合失調症を発症した。
今、アドリブで小説を書いているが、自由に思いつくままに書くのはまるで子供の頃ゴム人形で遊んでいたのと同じに思える。しかも、女の登場人物も出てくる。
こんなに自由な気持ちで物語の世界に浸れることは統合失調症にも効果があるだろう。
しかし、俺は統合失調症を治すために、ということを強く意識したくない。健康のために芸術をやっているなんていうのはバカだ。
最近の日本人の多くが、「なんのために」という思考に入ったときに、「健康」という言葉を引き出すことが多い。健康で長生きすることが人生の目的なのか?
まあ、人生の目的について深く考えていない人が陥る健康神話についてはここでは語らない。
俺の場合、統合失調症を治すために小説を書くと言うよりは、統合失調症ゆえに失ってしまった「本音」を掘り出すことが、小説を書く目的のひとつかもしれない。

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