銭湯の話④

烏の行水みたいな感じなのに銭湯に行きたがるのが友人にいる。別に僕は構わないのだが、せっかくならゆっくりすればいいのに。
大阪の友人宅に行くと大抵は連れ立って銭湯に行くのだが、この前は銭湯で3時間ほど湯に入っていたりした。小一時間のつもりだったが気付けばそんなものだ。道理で喉が渇いていると笑ってしまった。

湯上りは瓶の牛乳が良い。それは形式美だ。創造された伝統で構わない。そういう小さな決まりが銭湯を楽しくする。コーヒー牛乳でもフルーツ牛乳でもいい。瓶の牛乳を飲む、それで銭湯が終わる。

銭湯の形式に好き嫌いは無い。番台が真ん中にあろうと無かろうと構わない。関東式に手前が洗い場で奥が湯舟なのもいいし、関西式に真ん中に湯舟があって周囲を洗い場が囲む形式でも良い。湯の種類がひとつだろうと複数だろうと構わない。銭湯である、と言う事実だけでいい。

宮城県に行った時、止まった旅館の向かいに小さな公衆浴場があったので入ってみたことがある。地元の老人しか来ないような小さな浴場であった。湯は飛び上がるほどに熱く、絶対に体に悪いだろうというほどだった。水風呂もないのに良く入るな、と思いながら強がって湯舟に浸かった。本当に熱かった。一緒にいた友人は入れないのもいた。湯舟からあふれ出る波打ち際でヒィヒィと唸るだけであった。


銭湯じゃない話をする。
以前、友人と連れ立って琵琶湖を自転車で周遊したときに泊まった民宿でのことだ。
指定された時間になったので浴室に向かうと、なんと湯舟の中が空である。前の客が気を利かせたのかお湯を抜いたのだろう。ならばもう少し気を利かせて再びお湯を張っておいてくれよと思ったが仕方ない。

全裸の男たちは湯舟にお湯を張り始める。しかし11月の滋賀は寒い。とても満ちるまで耐えられそうにない。そうであれば仕方ない、体積でお湯の量を誤魔化すしかない。
かくして3人の男たちは湯舟に体育座りをしてギュウギュウになりながら、どうにか肩まで湯に浸かったのであった。

それだけの話である。

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