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Re: 【短編小説】SundaySandaeThunderCyder

 メロンソーダだけが救いだ。
 何故ならそこは自由であるが故にあまりにも苦しい空間だったから。


 フードコートの壁向かいに設置された独り用のブースは既に埋まっていて、しかし受験生の背骨が捩れるような焦燥と独居老人の足の指に挟まった靴下の埃を指でちねり落とす孤独な図々しさが、薄暗い吹き溜まりになって渦巻いていた。


 受験生が忙しなく動かすシャープペンシルの芯は細く薄い。
 神経質に並べられた字はまるで印刷物で、そのフォント造形の文字は疲弊と睡眠不足を俺に訴えた。
 だが焦燥が彼を眠らせることはない。
 薄く浅い剃刀のような眠りの隙間にいくつかの悪夢を見ては起きてまた眠る。


 老人が狭いテーブルに広げる弁当は、このスーパーで買ったものではない事が一目でわかる。
 老人が嬉しんで拝んでいるのは、象の麻酔でも薄めて飲んだ方がまだマシと思えるような安いアルコール飲料と、ひどく粗悪な油脂類と塩分の糊塗された肉。
 片耳に差し込んだラジオからは何が聞こえているのだろうか。
 もしかしたら電源は入っていないのかも知れない。

 俺は白い目を出さない様に横流す。
 摺り足気味に運ぶ踵はすり減っている。
 俺には受験を頑張った過去も無いし、俺には独居老人になれる未来も無い。
 つまり奴らは俺じゃないし、俺は奴らじゃない。
 自他の境界は鮮明だ。


 そうだ。
 ここは郊外にある巨大なスーパーの地下に作られたフードコート。
 岸田劉生が描く冷コー、飲み干すおかっぱ頭、俺たちはそうやって笑われながら生きる。

 辺りをよく見てみろ。


 サンドイッチ屋に並ぶ老夫婦はシステムを把握していないし、人手不足のサンドイッチ屋はオペレーションに破綻をきたしていた。
 野菜屑がパンから溢れ出てヴィンセントファンの絵画みたいな模様になっている。
 ソースが白いまな板にレンブラントを描く。
「耳を切り落とされたパン、そこまで言わないと分からないのか?」
 店員が無愛想に訊く。
 老夫婦は聞こえていないフリをして珈琲セットを注文する。
 生きていくにはそれくらいの太々しさが必要と言う事だ。
 俺には足りない。
 会計は倍付けだ。


 俺たちは。


 日曜日になっても無様に、それも惨めな顔をして行儀よく列を作って並んでいる。
 サンドイッチ屋に限った話じゃあない。
 ドーナツ屋の前にもタコ焼き屋の前にも並んでいる。
 俺たちは飼いならされた平日を週末にも持ち込んでいるんだ。
 窒息しそうになる!


 既に窒息している父親は周囲に目配せをしながら家族が食べる食事の行く末を見守っている。
 友達が来ない事を願いながら俯き気味に食べる少年と年老いた両親の落とす影はLEDの照明が作るそれよりも遥かに濃い。
 知らないオジサンと食事をする少女が要求する金銭と、それを少しでも先延ばしにしたい怒張の気配は吐き気を催す。


 俺たちはそうやって平日の病気を、平日のルールを、平日の惨めさと無様さと疲弊と屈辱を引きずっている。


 それに気付いた人間からこの地下にあるフードコートを出ていくのさ。
 別にいつまでもここにいる必要は無い。
 ここだけが居場所じゃないし、ここでしか食べられないものなんて何もない。
 俺たちは空を見上げるべきだし風を感じるべきだ。


 ここには何もない。


 焦燥と孤独、卑屈さと沈黙が描くフランシスベーコンは悪意の塊だ。
 俺たちは歪んだ法皇の叫びをトレイに載せて運ぶ。
 俺たちはデーモンコアを覗くように包み紙を開いて青白い光を食べる様に齧って笑う。
 受験生が頭を掻きむしりながら叫ぶ。
「ここから出ていくべきだ」
 老人が唾を垂らしながら嗤う。
「それが出来るならな」


 俺たちは現実に還るべきだと言われても還れなかった。
 俺たちは箱庭を出る事はできなかった。
 俺たちはそうやって生きてきたしこれからも生きていく。
 俺たちは青白く光る肉体を引きずりながら日曜日のフードコートを歩き回る。

 俺になかった人生!
 俺には発生しえない人生!

 俺たちは平日の延長に置かれた日曜日をそうやって過ごす。
 人生はクソだ。メロンソーダの光だけが俺を支えてくれる。
 俺はメロンソーダの上にあった、すっかり溶けたアイスクリームを舐めた。

 救いなんてどこにもない。
 フードコートなんてメロンソーダに沈んでしまえばいい。

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