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Re:【超短編小説】人生アンダーTHEリビドー

「どうした、仕事受けないのか」
 野球帽の男が俺の手の中で震えるケータイを見ながら笑った。
 歯がないくせに、滑舌は良かった。
「冗談じゃねぇ、あんなタワマンの上まで行きたくねぇよ」
 やりたきゃアンタがやればいいだろ、おれはごめんだがな。
 吐き捨ててケータイをポケットに押し込んだ。バッテリーが熱を持っている。買い替えの時期か?だがその金もない。
「仕事は選ぶもんさ」
 野球帽が笑う。
 そうだ、仕事を選び続けた結果がこの有り様だ。
 おれは口に出さずに適当な相槌を打つ。

 おれじゃなくても他の誰かが受ける仕事だ。
 若い新人。
 かつてのおれに似たやつ。またはこの野球帽に似てるかも知れない。
 若いか、馬鹿か、何も知らないか。
 そのどれかに当てはまる奴が受ける。または全部に当てはまる奴だ。
 若い新人って言うのはそういう事だ。
 せめて歯が生えてりゃいいな。チップに影響する。


 ケータイが震えた。
 開いて画面を見ていると、誰かが仕事の依頼を受けたと言うメッセージが出た。
 つまり、そういう馬鹿がいたと言う事だ。
「馬鹿な仕事を受けたやつがいるな」
 野球帽が笑う。
 仕事ってのはそういうもんだ、アンタもたまには長距離の仕事を受けるべきだよ。歯の治療費くらいにはなるだろ。
「わはは、考えておくよ」
 鼻を鳴らして笑って、それでお終いだ。
 アンタは考えたりしない。頭の中は今夜の酒と週末に買う安い商売女、それに足りるだけのラクな仕事でいっぱいだ。


 ケータイをポケットの押し込んで立ち上がると野球帽が「なんだ、もう上がりか?」とヘラヘラしながら訊いた。
「今夜はもう駄目だろ、おれの分まで働いてくれ」
 と言い残して三五式VTOL型バイクにまたがる。
 もう春だと言うのにサドルは冷え切っている。この冬はヒーター無しで乗り切ったが、次の冬は厳しいかも知れない。
 屋根付きのバイクが欲しい。
 だが金がない。
 金のために働く装備が惨めたらしい。
 おれは、クソだ。


 振り向くと、同じように四角い箱を足元に置いた黒い影が乱立しているのが見える。
 おれと同じように型落ちの古いVTOL型バイクが暖気したままになっていた。
 おれたちはインターネット経由のパシリだ。
 中学生の時は立場が逆だった。
 サッカー部の一番弱っちい奴を走らせてパンを買いに行かせた。
 学食のラーメンを教室まで持ってこさせた事もあるし、駅前のコンビニに売ってるコーラが飲みたいと言って走らせた事もある。
 無茶な時間制限を設けて失敗したら一気飲みさせたり、頭から浴びせたりもした。

 あれから十年以上経った。
 そしていまのおれがやっているのはそれだ。
 物を届ける先が同級生じゃなく全くの他人と言う違いしかない。
 年上ならまだしも年下の場合だって少なくないし、日本人ですら無いケースもある。
 あの時のパシリと同じように愛想笑いで伺うし、理不尽な難癖には頭を下げる。

 制限時間の中で評価を気にしながらバイクを飛ばす。
 地理とビル風、混雑状況や警察の情報を確認しつつ、信号の長さだとかいろんな事を憶えてできるだけ近道を行く。
 それでも普通評価。できて当たり前だとみなされている。
 悪いとマイナス評価だ。
 給与に響く。
「早けりゃ良いってもんじゃねぇぞ」
 と腰にタオルを巻いたほぼ全裸の男に怒鳴られたのを思い出す。部屋の奥には半裸の女が見えた。
「いつまで待たせるんだ」
 怒鳴られて持ってきたメシを投げつけられるよりはマシだが、そんな時におれは一体何に支配されているのかと思う。

 金か、時間か、食欲か、システムか、人間か、その全てか。

 あの頃、おれが支配していたのは何だったのか。
 同級生か、時間か、またはほかの何か。
 
 いまおれがアクセルを開いているように、おれは社会にコントロールされ、自分では修理もできないほどに複雑なシステムだとか、他人の欲だとかの上を転げまわっている。

「辞めるか」
 辞めてどうにかなる訳でもない。
 カーブを曲がりたくなくなって、ハンドルから手を離してみただけだ。

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