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Re: 【短編小説】グッド・ナイト

 街は静かに息をしていた。
 その呼吸も明日の朝までは続かない。地球と言う惑星の歴史は終わる。
 映画みたいに巨大な隕石が降る訳でもなく、地球外生命体が侵略しにくるでもなく、静かにその寿命を迎えると言うことらしい。

 かつての正月と言うのはこんな感じだったのだろうな、と思う。
 誰もが家に帰って家族や友だち、恋人なんかと過ごすのだろう。
 孤独なひとはどうしているのだろうか。
 テレビもインターネットも無くなって退屈では無いだろうか。


 もし自分が孤独だったらどうするんだろう。
 なんとなく好きだった人に会いに行ったり、むかし嫌いだった人を殺しに行ったりするのかも知れない。
 人生の慰め。
 もう金銭に価値が無いから、強盗に意味は無い。
 だけど欲しかった人を押し倒したり気に食わない人の家に放火したりって言うのは、人生の最後に少しだけ意味を与えてくれるのかも知れない。

「何を見てるの?」
 最後の真水をカセットコンロで沸かして淹れたコーヒーを持って君がやってきた。
「ん、ちょっとね」
 煙草でもって指した先にあるコンビニに、またホームレスが入って行くのが見えた。
 もう店にまともな商品が残ってるとは思わない。
 でも自分が孤独だったら、寂しさを埋めようとして欲を塗り潰すみたいに、最後の瞬間までああやってスーパーやコンビニを漁るのかも知れない。


「その煙草もあそこから持ってきたんだっけ」
 君の声は歌うように弾んでいた。
「一応お金は置いてきたよ」
「嗜好品は緊急避難に適応されないの?」
「さぁ、調べたことないし。もう調べられないし」
 充電の切れたスマホを弄ぶ。
「最後に吸えて良かったね」
「全くだよ、とっておいて正解だった」
 もう二度と入院したくないな、と思って完全に煙草をやめていたが、ぼくたちに明日が無いのなら吸っておいて損は無いだろう。


 ふと、入院している人たちはどうしているのかと思った。
 医者に良いイメージは無いので彼らがギリギリまで人助けをするとは思えないし、すでに何人か死んでいたりするんだろう。
 でも病院には数名の看護師くらいは残っているのかも知らない。
 あの人たちは体育会系だもんな、気合いが違う。
 ──いや、それはそう思いたいだけだ。
 あの人たちにだってプライベートがある。
 でもそれは入院患者だってそうだし、そう思うことで自分自身が救われた気持ちになりたいだけだ。
 最後の最後まで邪悪だ。

 
 そう考えると退院を急く患者たちの「帰りたい」という怨嗟の声が聞こえそうな気すらする。
 なかには引き取りに行く家族もいたりするんだろうか。
 最後の瞬間くらいは一緒に過ごしたいと思うものなのか。
 自分だったらどうだろう?


 バイクの乾いた排気音が考え事を強制的に遮断する。
 眼下の通りを、真っ白い特攻服に身を包んだ少年が絞りハンドルのバイクに跨って蛇行運転している。
 ド派手なアクセルコールはお世辞にも巧いと言えないけれど、暗くなりかけていた気持ちを少し上向けてくれた気がした。


 コーヒーをひとくち飲んで空を見上げる。
 すっかり光害と縁遠くなった街の空は満点の星で飾られていた。
 あの光を線で結ぶ遊びは誰が始めたのか。
「星座のいくつか、覚えておくんだったな」
 ふと独り言が漏れ出た。
「なんかあるよね、そう言うの」
 いくつかの小さな後悔に笑う。
「そうそう、小さい頃に習ってたピアノとか」
「やめなきゃよかったー、って」
「思う。あの頃は厭だったけど」
 君が頭をぼくの肩に預けるように寄りかかる。
「まぁ、こうなるなんて誰も思って無かったし」
 肩に乗った頭の重さを幸福に思いながら、もう彼女を抱くことも無いんだなと思った。



「初夏で良かったね、冬だったら寒くてそれどころじゃなかったよ」
「それはそう。雨水でもシャワー浴びられる季節で良かった」
 まだ渇ききっていない髪を撫でる。
 ドライヤーが使えなくなってから枝毛が増えたとか傷んでるとか言うけれど、こうも暗いと良く見えない。

 でもそう言うことじゃないんだよな。
 少し硫黄臭い雨水と固形石鹸の匂いが混ざって、むかし行った温泉を思い出した。


「そう言えばあの時も避妊をしなかった」
 唐突に思い出した。
「え」
 君は驚いて顔を上げると、どの時?と目で訊いた。ぼくは構わずに続ける。
「当たらなかったから良かったけど。まぁ今となってはもう」
 いくつかの思い出。
 それが重なった瞬間。
 思い出が光るときはいつだって美しい。


「今日産まれてくる子もいるんだよね」
 幸か不幸か。
 数ヶ月前まではこんなふうに終わるなんて誰が思っただろう。
「いるんだろうなぁ」
「産まれてこられない子も」
「そうだね」
「もしかしたらここにも」
「そうかも知れない」
「そう言う話かなと思って」
「そうだな」


 コーヒーを飲み干してマグカップを置いた。
 短くなった煙草を弾くと、緩やかな弧を描いて飛んで行った。
 弾き飛ばされた煙草は、ちょうどコンビニから出てきたホームレスの前に落ちた。
 ホームレスがこちらを見上げて鼻で嗤ったような気がした。
 気のせいかも知れない。


「もう一回しよう」
 ぼくは彼女をベッドに押し倒した。
 眠っている最中に全てが終われば良い。
 幸いにもぼくは寝付きが良いんだ。
 彼女の頭を撫でながら眠るんだ。
 肺の中を温泉みたいな匂いで満たして。
「愛してるよ」
「愛してます」
 この夜に降る星の数より多く交わされたであろう会話をぼくたちも繰り返す。
 もう繰り返すことが出来ないから何度でも繰り返す。


「おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

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