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Re: 【短編小説】to be うお

 平日の最終電車は空席が目立っている。
 街に活気が戻るのはまだ先なのだろう。電車に揺られている人間たちの顔にも覇気は無い。
 疲弊と疲弊、そして疲弊の色が浮かんでいる。
 ワインとチーズをたらふく胃袋に詰めた大学生が紫色の固形ゲボを履き散らした。
 ほんの少し混じっているラメの様な光、もしかしたらあのゲボには不愉快さとか後悔の類が混ざっているのかも知れない。

 痒みを感じて耳の穴に指を入れると、巨大な頭痛が引きずり出せた。
 芋虫か管虫みたいにうねうねと動き回っていた。
 まるで脳味噌を取り出したみたいだと思うが、これは脳味噌ではない。
 頭痛だ。
 灰色の脳味噌と違って、その頭痛は青緑メタル色をしていて鈍く光っている。
 頭痛と言うだけでも腹立たしいのにその煌びやかな見た目がさらに腹立たしさを加速させる。

 対面に座っている学生がゲボを吐いたみたいに、内臓の気持ち悪さも取り出せるのならそうしたい。
 だが生憎と俺は喉に指を入れて吐き戻すのがそんなに得意ではない。
 馴れている人間はあれですぐに青紫メタル色の吐き気を出せる。
 貰いゲロの才能があればそれで吐き気を取り出せる。
 しかし俺にはその才能が無い。
 だから腹の底に不愉快さが溜まり続けていく。


 電車が停まる。
 乗り継ぎ駅で停まった電車を降りてホームを行く。
 俺以外にここで降りる乗客はいなかった。
 長く、うすら寒いホームを歩く。
 俺が歩くのと逆方向に電車は走り出す。
 つまり俺とは逆方向に紫色のゲボとか不愉快さとかが走っていく。
 車掌が落としていった鬱憤が西部劇のヨモギみたいにホームを転げていく。


 階段を降りるとそこにはデジタルサイネージが点灯していて「最終電車と次の人生への接続は行っておりません」と書いてあった。
 俺は乗り継ぎをミスった訳だ。
 輪廻とか転生ってやつに失敗した。


 仕方がない。
 ちゃんと時計を見ていなかったのが悪い。
 改札を抜けてシャッターの降り始めた駅舎を出る。
 もう誰もいない薄暗い商店街を歩く。
 薄い足音が響く。
 誰かの頭痛や不愉快さが通りの端を転がっている。
 排水溝に詰まった後悔とか諦観が泡立ちながら渦巻いている。
 こめかみの奥で再び頭痛が小さな声をあげている。

 ロキソニンを飲めば助かる。


 結局のところ俺はロキソニンの為に働いているのだ。
 馬鹿馬鹿しい。
 俺の人生はロキソニンで埋め尽くされている。別に理解して欲しいとも思わないし理解されるとも思っていない。
 だが俺にはロキソニンが必要だ。
 ロキソニンの為に生きている。


 いくら耳の穴をかっぽじったところで限界がある。
 その空白にロキソニンを詰め込む。
 陰鬱さの跡にブロンを流し込んだり、鬱憤の隙間にリタリンを詰め込んだりしたみたいに。
 今はどうか知らない。
 別の何かかも知れないがどうでもいい。俺にはロキソニンだけが必要だと言うだけだ。


 しばらく歩いた先にある海岸は鰯の死骸が散乱していて、それは猫だとかカモメに食い荒らされた後に見えた。
 遠くで魚が跳ねる。
 俺の頭痛と似た色の鱗が光ったように見えた。
 それはもしかしたら本当に俺の頭痛かも知れない。
 耳から魚が出ていく。
 それはそれで不愉快かも知れない。

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