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【小説】魔魔04~少女Aの場合~

 顔を上げてため息をつく。
 吐き戻した黄色い半固形物が白い便器の底に沈んでいる。トイレットペーパーで口の周りを拭って便器を流す。レバーを捻って水を流すとトイレが饐えた臭いで満たされた。
 疲れている。我慢する事にも吐き戻す事にも疲れている。
 走る事にも疲れているし、もはや食べる事にも疲れている。
 洗面所で口をゆすぎ薄汚れた水を吐き出す。鏡に映っている顔は亡者の様になっている。饐えた臭いにも馴れた鼻が歪んで見える。肌荒れも酷い。目に力も入っていない。全てが憎い。すでに脳裏には食べたいものが踊り始めている。
 疲れてベッドに横になる。
 また食べてしまったと思う。制御が出来ない。食べたい。だが食べれば太る。さっきのだってそうだ。全てを吐き出せた訳じゃないだろう。走らなきゃと思う。起き上がって着替える。肌に触れるジャージの繊維すら不愉快だ。
 家の周りを走る。距離も時間も定めていない。とにかく自分が満足するまで走り続けるだけだ。食べ多分、吐き戻せなかった分だけは走らなきゃならない。それよりも走らなきゃならない。まだ晩ご飯がある。その分も走らなきゃならない。
 晩ご飯。水。晩ご飯。小さな茶碗に盛られた米。晩ご飯。ポークソテー。晩ご飯。サラダ。水を飲む。食欲がでない。サラダ、そのレタスを齧る。食欲が出ない。晩ご飯。食卓についた家族は食べ進めていく。晩ご飯。ポークソテーを細かく賽の目に切っていく。晩ご飯。食べたくない。苦痛。

 父親に殴打されて晩ご飯は終った。
 繰り返し。いつものことだ。ため息。自室にこもって泣く。疲れている。乾燥した泣き声が響く。どこかで誰かが泣いているような感じがする。でもそれは自分の鳴き声だ。
 疲れた。何か食べたい。
 深夜になって家を出る。通いなれたコンビニに向かう。だいたいの商品は食べ終わっているし味も知っている。それでも何か食べたいと思う。
 もう疲れたな、と思う。
 公園の傍にある道を通って墓地にさしかかる。
 不気味さが辺りを覆いつくしている。食欲が脳味噌を埋め尽くしている。足が止まらない。道の反対側を子どもが歩いている。最近の子どもは夜更かしだなと思う。それともコンビニの帰りだろうか。
 墓地を越えた先の薄暗い交差点に点いた。
 そこに何かがいた。
 それはこちらに背を向けて空を見上げているように見えた。
 犬か、人か、それともそれ以外の何かなのか。
 ぼんやりとそれに見惚れていた。そう言えば、ネットで見た事がある気がする。公園の先にある墓地を抜けて交差点に行くと、みたいな話。何がいるのかまでは読んでないけど。
 果たして、それはそこにいた、と言う事だろうか。
「疲れただろう」
 それはこちらを見ないで話しかけてきた。
「うん」
 もう疲れている。終わりにできるなら終わりにしたい。
 終わり。
 終わりとは何なのか。もう食べて吐きたくもない。炊いたご飯も全部食べて、パンも全部食べて、お菓子も全部食べて、冷凍食品も全部食べて、それで吐いて、走って、おなかが空いて、コンビニで買いこんで、全部食べて、吐いて、走って、それでも晩ご飯は食べられなくて、小さく切り刻んだおかずを見て父親に殴られる。
 そんな毎日が終わるのであればそれで良い。
 食べたいものを食べたい。何も気にしたくない。
 太りさえしなければなんだっていい。
「なら、もう大丈夫だよ」
「どういうこと」
「もう何も気にすることが無いと言うことだ」
「よく、わかんない」
「そうだろうな」
 それはやはり背中を向けたままだが、笑っているようだった。
 それでも何となく行って良いような気がして、挨拶もしないでその場を離れた。

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