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なぜ、ネカマはバレやすいのか? (他者理解には、ふたつのアプローチがある。)

なぜ、ネカマはバレやすいのか? 理由は、ネカマの女性理解が男目線による外側からのもので、けっして女性の内面理解に届いていないからでしょう。すなわち物事の理解は、外側からの理解/内側からのそれ、二つのアプローチがあって。外側からの理解だけでは、けっして対象の真実を解することができない。しかも、そもそも男と女とて、見かけの違いの下には普遍的な層がある。男も女も似たようなことを考えている心の次元もまた存在している。しかし、ネカマはそれに気づけない。したがって「中の人」たるオヤジが外側からの女性理解を深めようとすればするほど、その表現が詐欺行為であることが発覚しやすくなる。はやいはなしが、ともすればネカマという不気味な事実がバレやすくなる。



そもそもネカマトークはとかく女性演出が過剰になりがちで、しかも「女子高生」「女子大生」「OL」「人妻」といったカテゴリーに依存しすぎで、すでにそれが怪しい。また、女性的な語尾、読点がわりに用いられる♡マーク。絵文字。ファッションやメイクへの言及。ちょっとかいま見せて男たちの気を引く性的な話題。しょせんそういうのは、オヤジどもの女たちへの妄想に過ぎません。またネカマの想像力には、たとえ女好みの香水やシャンプーを調査はしても、しかし女たちのリアルな日常生活、掃除、洗濯、育児、ペットの世話、嫁/姑問題、進路決定、就職の苦労、職場の人間関係、女同士の関係独特の難しさなどには目が届きにくい。



なお、日本でネカマが横行する理由には、日本語の口語文では避けがたく性別が示されてしまうことが原因のひとつでしょう。対照的に欧米の言語や支那の言語においてはそもそも書き手の性別はわかりずらいもの。したがって、言葉使いで性を偽ることも難しい。



なお、ネカマは英語で、catfish(ナマズ野郎) と呼ばれたり、online female impersonator(”オンラインの女型”)と呼ばれたりするそうな。もっとも近年はNekama は"a male pretending to be female on the net."という解説とともに英語語彙のなかに入った。



他者理解には、ふたつのアプローチがある。たとえばオヤジは好きな風俗嬢にぬいぐるみをプレゼントしたりする。彼女たちは職業上「キャーー、かわいーーー!!! うれしいィ♡」とよろこんで見せてくれはする。しかし、客が帰れば彼女たちは、「ケッ、要るか、こんなもんッ!!!」とぬいぐるみを投げ飛ばす。他方、おもいやりのあるスケベな男客は、愛する風俗嬢に「忙しいでしょ。食事取る暇もないんじゃない? 良かったらこれ食べて」と囁いて、京樽の茶巾寿司二個入りセットをプレゼントしたりする。たかが500円足らずの安価なプレゼントであるにもかかわらず、さすがである。他者を内側から理解するとは、こういうことを指す。



ネカマは恥ずかしいもの。なぜなら中の人の異性への性的ファンタズムが過剰でキモいから。なお、ぼくは食べログで、あるひとりのイケイケキャピキャピ現在40歳設定(自称東大院卒)の女性のレストランレヴューの読者になった。数年まえは数歳若かった。しかし、ネット上の交流のなかでぼくは気づく、どう見ても「彼女」には「中の人」がいて、しかもかなりなおじいさんなのではないか。以来、ぼくはそんな批評的な読み方で「彼女」のレヴューを読むようになった。たいへんおもしろい。そもそも「彼女」は読者に金品を貢がせるような動機でネカマを演じているわけではない。いわば純粋な十年ネカマだ。そして同時にぼくは考えるようになった。人はいったいどんな動機でネカマになるのだろう? なぜ、ネカマはバレやすいのだろう? 彼女の場合はキャラ設定が雑すぎることも理由の一端ではある。なお、これらの問いに対してぼくが出した暫定的な答え(総論)が、このエッセイである。



読者のあなたは、ネカマについてなにか経験を持たれたことがありますか? どんな感慨をお持ちになりましたか? 良かったら、こっそり教えてください。




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